人は自分のことで「こうありたい」と思っていても、現実はそう簡単にいかないこともあります。
それは「理想を語るだけでは何もならない」ということです。理想を実現させるためには、色々な問題をクリアして、皆がしあわせになる方法を考える必要があると思います。
私なども良かれと思ってしたことが、ことごとく反対の方向に行ってしまったことがあります。
善意が、かえってその人を苦しめてしまうのです。
少し講座を受けたぐらいで、それを活かそうとしたところに間違いがあったようです。
その人の考え方、受け止め方を違った観点から見れば、もっと素直に見れるのに、もっと素直に受け取ることが出来るのにと思って、「こういう見方もある」「こういう考え方もある」と、自由な考え方を伝えたつもりでした。
しかしそれは、自由な考え方を与えただけで、「自由を生きる覚悟」まで持っていく間もなく、避けられるようになりました。
本当は時間をかけて、話す回数を重ねて少しづつ、変化を待とうと思っていたのですが、プロの方のアドバイスもあってか、連絡を避けられるようになりました。
それはそれで解決に導いてくださる方のアドバイスを受けられるなら、その方が良かったと思います。
私は関わったら最後まで責任を引き受けたい方ですが、自由な発想を与えるだけで、それを育てることが出来なかったのだと思います。
理想を語るだけではなく、本人たちがそれを続ける仕組みを持っていなければならなかったのですが、そこまでわかってもいなかったし、当然力量もなかったので、離れてよかったと思います。
続けていたら、無責任の上塗りになっていたと思います。
種を蒔いたら、水をやり世話をする。実れば刈り取り、また土を耕す。
このサイクルの、土を耕す事だけを知って、悩みを開放しようとしていた所に過ちがあったのだと思います。過ちは種を蒔いただけで、後の世話の仕方もわからずにただ蒔いただけだったのだと思います。
水のやり方、世話の仕方という、育てるための仕組みを持たずして、種を蒔こうとしていたのだと思います。
悩みを解決したり、問題を解決したりする「自由」や「成功」を与えるだけではなく、育て続けるための「行動哲学」を伝えなければならなかったのです。
今、思えばかかわった方々に申し訳なかったと思います。
「学んだらすぐ実践」と言われますが、実践するには勉強が足りなさ過ぎました。
「自由」や「成功」は、与えられても長続きはせず、育ててこそ、自分のものになるようです。
じゃ、また明日!