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学校を出て就職をし、そこそこの仕事もしてきた人が、ふと「自分の会社人生もここまでか」と、思うときがあります。
自分の人生の先が見えてこないのです。
「自分には、もっと他の人生があったのではないだろうか」
「このままこの会社で働き続けて、何の意味があるのだろうか」と。
この空虚感は、人から与えられるのに慣れすぎたせいかも知れません。
小学校の時から、先生が教えることを素直に従い、会社に入ってからも、与えられた仕事を一生懸命こなす。
毎日会社に通っていれば、報酬としてお給料が振り込まれる。
気が付けば、与えられるのが当たり前になってしまっています。
人生とは、人間がこの世で生きていくこと。
自分がこの世で生きていくこと、です。
「自分が」とあるのは、自分が主体だからです。自分が主人公だからです。
その主人公である自分が、与えられるのが当たり前になっていたり、与えられる癖がついてしまっていたり。
自分が主人公になっていないから、空虚感が出てくるのだと思います。
この空虚感は、自分が人生に何かを期待しているからです。
人生が何かを与えてくれると思っているからです。
そうではなく、反対に「自分が自分の人生に何を与えることが出来るか」です。
自分の人生は、今ある仕事を定年退職迄やることを望んでいるのか。
自分の人生は、自分に何を期待しているのだろか。
ピーチクパーチク誰かが与えてくれるエサを、死ぬまで口を開けて待っているだけでいいのだろうか。
そういう疑問が空虚感の中に含まれていると思います。
その「空虚感」は自分から人に与えることによってでしか解消しないと思います。
自分から働きかけないと、解決しないと思います。
いつまでも口を開けて待っていても、何も口には入って来ません。
なぜなら、自分から人に「与えること」によってでしか、人とは関われないのです。
また、自分から人に与えることによって、自分も人から与えられるからです。
これは自分中心から、自分以外の誰か、或いは何かに生きる焦点を当てるようになるからです。
「与えられる」側から「与える」側に回れば、生きる意味の発見に繋がると思います。
今まで「与えられる」ことに慣れすぎていた自分を「与える」側に連れていく必要がある、と自分で思いました。
じゃ、また明日!