最近、表向きは洗練されているのになぜか「心ないな」と思うことが増えてきたように感じます。
これは昭和の人間だからそう思うのであって、平成の人は何も感じないかも知れません。
気軽ではあるけれど、重みがない。洗練されているのに、深みがない。「おもてなしの心」と言いながら、「もてなしの氣」になっていない。先を急ぎ過ぎるのか、気持ちはすぐに消えてしまいます。
若者は世の中に反発すると言いますが、それとなく、世の中の違和感を感じているのかも知れません。
「押し付け」「同調圧力」「上から目線「嘘くささ」「中身のない理念」など、大人でも嫌な部分です。
昭和の時代は「勝って前に進む」ことでした。しかし、今、令和の時代は「そのままで良い」と、いう風潮です。
「あなたは、あなたのままで良いのです」と。それにも最近は少し違和感を感じ始めました。
「心は変わらない。変わるのは氣である」と。「本来、氣は心から発するものだけれど、今は、心を経由しない氣が氾濫している」と。SNSも政治も、会議も企業スローガンも、瞬間的な反応で、そのパフォーマンスがウケています。
誰かを標的にして炎上させたり、誹謗中傷で追い詰めたり。
そしてその時「そうだ!そうだ!」とはやし立てていた人は、いつの間にかサッといなくなっているのです。
軽い気持ちではやし立て、軽いから消える。そういう無責任な姿を目にするのが多くなってきたように思います。
しかし今、また新たな風が吹いてきたような氣がします。
氣とは、「誰も決めていないのに、みんなが従ってしまう力。」目に見えないから、時には人を追い詰めてしまうこともあります。
本来は「心→氣→行動」と流れていくはずが、今は心を通らずに「氣→行動」となってしまっているようです。
日本は何でも「心から」でした。「心配」「心持」「心からのおもてなし」
それらを取戻す時期に来ているのではないかと思います。誰も決めていないから、誰でも決められるのです。
自分の正しい判断で。
じゃ、また明日!