ある方のnoteに、手塚治虫氏の「命の哲学」に触れて書かれていました。
「すべての選択は、必ず責任を伴う」と。選択には責任が伴うというのは、「7つの習慣」にもありましたし、よく言われることだと思います。
私も「選択責任」という言葉を知らなかったときは、何事も他人のせいにしていました。あまり意識していませんでしたが、言われてみれば周りでも責任逃れの受け答えが多かったように思います。「親に言われたからこの大学を選んだ」「先生にここなら受かると言われたから受験した」「親戚の子より、良い所に就職せよと言われてここに決めた」「親に勧められてこの人と結婚した」等など。
現状に満足できていない時の愚痴は他人のせいになってしまいます。
しかし、最終的に決めるのは自分です。親や周りの言われるがままに選択していれば、いつまでたっても他人のレールを歩むしかないのです。それを選んでいるのも自分です。
だから、自分で選ばなければならないし、自分が選んだ限りはその責任は自分自身が取ることになるのです。
しかし、自分が選んだ責任は自分が取ると覚悟が出来た時、やっとそこから自分の人生が始まるのだと思います。
手塚治虫氏の選択基準は「感謝」の視点です。感謝を選択の基準に選ぶということは「命をどう使うか」という意志へと姿を変えるようです。私たちは生きていることを当たり前だと思っています。その当たり前の象徴である「呼吸」は「命の根源」です。
赤ちゃんは「おぎゃあ」と泣く前にまず息を吸うことから生命を始めるようで、人生の終わりには一息吐いて終わる。「あ・うん」には「万物の始めと終わり」という意味があるようで、やはり呼吸は命そのもののようです。
手塚治虫氏が描き続けた主人公たちは「誠実な選択をしよう」とし続けたところにあるようです。そして、その選択とは、毎日のほんの小さな一歩の積み重ねが、人生の方向性を決めているのだとか。そして、その1つ1つの事実の上に今日の自分が立っているのです。
そのように理解すると、選択とは「命をどう使うか」という、静かな意志へと変わるのです。
私たちは毎日毎秒、当たり前のように呼吸をして自分の命を繋いでいっています。
その「命」を自分のカラダを維持するためだけに使うのか、社会の誰かの、何かのために使うのか。
その選択が命の使い方だと、改めて認識させられました。
じゃ、また明日!