いろいろな場面であることですが、人々の最初は「私」から始まります。
例えば学校でも、最初のクラスに入った時の自己紹介は「私は○○です」と、自分の氏名を言って自己紹介します。それが1年を通して運動会や遠足や学芸会を通してみんなと一緒にやることによって、いつの間にか「私たちのクラスは」というように変わっていきます。

会社にしても、入社したての時は、やはり「私は○○と申します」と、自己紹介します。それから一緒に仕事をしていく中で「ウチの課では」「ウチの部では」となり、外に対しては「我が社は」と変わっていきます。

そこには何か一緒にやっていく中で、不安と同時にワクワクを感じる「共有」があるからだと思います。
企業に限らず音楽グループのメンバー同士であったり演劇であったり、「同じ時間と同じ場所を一緒にすごす」という共有体験をすることによって、1つになって行くのだと思います。

最近の日本のスポーツの考え方を見ていても、今やっている冬季オリンピックでも、各競技のグループが非常にまとまって、日本に「金」を持って帰りたい!という強い意識がメダル獲得に繋がっているのだと思います。
昔の日本は個人がメダルを取るだけで喜び、選手も自分がメダルを取ることに対して頑張っていました。よって、個人に対するプレッシャーが物凄く「メダルを取れなければ恥」という感覚すらあり、自殺者もあったように思います。

しかし、今の日本は個人ではなく、「チームジャパン」なのです。1人1人が頑張るのは勿論だけれども、チームとして頑張ろう! チームとしてメダルを取りに行こう!という意識があるので、今回のフィギュアスケートのように今まで参加出来なかった選手がチームの皆に引っ張られてメダルを取ることが出来ました。よって、みんな口にするのは「メダルを取れたのはチームの皆のお陰です」「このチームに参加出来てよかった!」となるのです。

これは一定期間、同じ時間を同じ場所で一緒に行動することによって生まれる「力」です。
例えば研修にしても、今までは座学の研修がほとんどでした。それぞれの企業、職場から行かされて、確かに研修自体は参考になる部分もあったかも知れません。研修中は「これはうちではこうすれば良くなるな」とか思いながらノート取っていたと思います。

しかし、それぞれが各職場に戻って1週間もたたないうちにその熱は冷めてしまいます。なぜなら報告しても受け流されるだけで、実現には至らないからです。ノートに書き留めた研修内容をレポートにして提出するだけだからです。

これを生きた研修にするのが「体験型研修」だと思います。座学のみならず、みんなで同じ体験をする。そしてその体験を通じて自分自身で学び、気付き、失敗や達成体験を習得していく。参加者同士が協働し、教え合う。
よって、来たときは1人の「私」であったのが、帰る時には「私たち」になっているのです。

体験で身に付けたことは、その後は自分の行動に反映されてきます。よってレポート提出だけではなく、職場をより良くするための行動へと繋がるのです。
来た時は「I」でも帰る時は「We」になっている。
こういうことが、AIにはできない、人間が人間に対して行う勤めだと思います。

じゃ、また明日!

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