本日は「本当に最初から正しかったのか」という文章に出会いました。
私もガリレオ・ガリレイの「それでも地球は回っている」というのを聞いたときはそう思いました。
ガリレオがコペルニクスの地動説が正しいと確信したが故に、宗教裁判にかけられてしまいました。その際につぶやいたのが先の言葉だと言われています。
近年では、コロナ禍のおり京都大学の宮沢孝之准教授がウィルス学者の責任としてワクチン接種への疑問を訴えていましたが、大学により研究室を閉鎖されました。
ワクチン接種への疑問も当時から囁かれていましたが、そういう意見は排除され、ワクチンを打たない人は迷惑という風潮を作られました。今現在、厚生労働省のコロナワクチン健康被害認定が2025年4月4日現在で9031件だとか。各病院の人数を見れば、もっと桁違いにある感じがしないではないですが。
当時頻繁にテレビに出てワクチンを推奨していた、 新型コロナウイルス感染症対策分科会元会長の尾身茂氏が2025年6月8日に民放のトーク番組に出演し、新型コロナワクチンの効果について「感染防止効果、感染を防ぐ効果は残念ながらあまりないワクチンです」「ワクチンをやったら絶対に感染しないという保証はないし、実際に感染した人がいる」と発言されました。
京都大学のウィルス研究室は閉鎖される必要があったのでしょうか。
常識とは「最初から正しいものではなく、後から正解だとわかるものかも知れない」と言われているように、命にかかわるものは慎重に選びたいものです。
同じ現象、同じ状態、同じものを見ていても、それぞれ個々人の味方が違っているので、ズレが起こるのは「見ている世界が違うから」です。それぞれの立っている世界や立場の違いによって、それぞれ違う世界を見ているのだと思います。そして、それがその先の想像の違いにもなってくるのだと思います。
同じものを見る場合、その前提を知らなければ嚙み合わないで違和感を覚えるだけです。
よって、ズレは埋めずにお互い同じ土俵に立ち、調整しながら共通の目標に向かうのが、正しい方向なのかも知れません。
じゃ、また明日!