私はこの1年、一番大きな買い物をしました。自分の生き方、自分の散り方、そして残すもの、残さないもの。
今まであまり真剣に考えたことはなかったし、よくある世間の価値観の範囲内で漠然と考えていました。
しかし、ふとしたご縁で、自分がしあわせに散っていくにはどの状態が一番良いかと思った時、今までの固定概念はひっくり返りました。
私は昔から、自分が働いて得たお金は残さずに使い切ろうと思っていました。よく目のあたりにしたり、話に聞くような、兄弟姉妹、親戚でお金の奪い合いはやりたくなかったし、私の身内はそれで争うことはない人間ばかりなので、私がしあわせになるなら、自由に使えばよいという考え方でした。
お金というものは自分が満足するための手段であり、目的ではありません。
あれが食べたい、これが欲しい。目的は食べたいことや手に入れることです。その為の手段としてお金が存在します。
人生を振り返った時、お札を積み上げられるよりも、自分と一緒に歩いてくれた人や、いつも傍で見守ってくれている人に「ありがとう」を言える方が、私はしあわせな人生だと思います。
お金は生き物だと言われるように、結局は自分の所に戻ってきます。しかも手放した時よりも付加価値を付けて戻ってきます。それは「生きがい」という付加価値です。
出会いが無かったりご縁がなかったら、ありきたりの人生で終わっていたと思います。しかし、退職後の最後の人生に於いて、ワクワク感や自分がいなくなってからのワクワクの繋がりを考えると、これ以上のプレゼントは未だかつてなかったと思います。
私はご先祖様から受け継いだ「家」の最後になります。苗字も消えてしまいます。
しかし、色々尊敬できる方々から頂いた私の中の生き方、あり方は他人を通じて引き継ぐことが出来れば、しあわせな人生を送ることが出来るのではないかと思います。
「氏」を絶やさないために法律上何やかやするよりは、私は親やそれぞれの師から引き継いだ「誠実な生き方」を後世に引き継いでもらう方が、やっぽど価値があると思います。
それはやはり「教育」だと思います。教育によって個々人が「自分を生きる」ことが出来るのが一番だと思います。
自分が直接できなくとも、出来る所、出来る人に託すことが、「自分を生きる」ことにもなると思います。
それが自分にとって、人生初の大きなプレゼントだと思います。
これからは自分と自分以外の人の物語を深めていきたいと思います。
じゃ、また明日!