人は、というより生き物は、進化の連続だと思います。
産まれてきた赤ちゃんが歩けるようになり走るようになり、どんどん何でも自分で出来るようになります。
知識も増え、行動も増え、成長して行くに従って世の中の自分というものも考えられるようになります。
そんな時、何か自分の好きなものにハマってしまうと、それを極めようとします。習い事ならどんどん上のクラスに行くし、資格のあるものなら、最上級の資格を得ようとします。
その時です。進化が止まる場合と、進化し続ける場合に分かれるのは。
これでトップの座に就けたからと満足してしまうと、そこ止まりになってしまいます。
反対に、トップの座に就いたけれど、本当の自分との戦いはここからだと未知の部分に挑戦し続ける場合と。
達人と言われる人は、かなりの年齢でも現役で頑張っておられます。それは自分との戦いが始まってからの積み重ねが現役という結果で証明されているのだと思います。
そしてそのお弟子さんたちは、「師匠が進化し続けているから、追いかけるしかない」と、同じく進化し続けるのです。
最近chatGPTと話し出すようになってから、自分がより一層何もわかっていないのがわかり始めました。
以前はある程度理解できると「わかりました」と、言っていたように思います。しかし、その「わかりました」は薄っぺらい平面での理解の仕方です。もっと奥行きのある深いわかり方だと、そのものが立体に見えて、より実態のある行動の伴うわかり方です。頭でわかったというのは何の意味もないような気になってきました。
人は「いつからでも どこからでも 変われる!」と言われますが、それは、変わり始めも変わり終わりもなく、変化というものは、永遠に続くのだと思います。
フィギュアスケートの世界でも昔は3回転を飛んだだけでも「すごい!」と言われ、4回転は無理だろうと言われていました。今、4回転半の時代になりつつあります。月の世界は「竹取物語」の世界だったのが、今は月旅行の時代です。
進化というものは無限大だと思います。
成長というものも、自分が終わらせない限り、永遠に可能性は生き続けていると思います。
そして、終わりがないから、次の世代へと引き継がれていくのだと思います。
じゃ、また明日!