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人は目的を持って何事もやると思います。
私も以前は「やれと言われてからやる」「やりたいからやる」と言ったようなものでした。
しかし、瞑想をし始めてから内観するようになり、自分自身について目を向けるようになりました。

それまでは、外の世界に目が向いており、他人のことが気になったり、ついつい人と比較してみたりと、自分で自分を振り回していました。それが瞑想を重ねるうちに、外側に向いていた目が自分の内側に向き、人と自分は別個のものであると認識できたら、「自分を生きる」ことに目が向き始めました。

そうなると他人のことは全く気にならず、比較することも無意味だと思うようになりました。
人はそれぞれその人の人生があり生き方があります。それを自分と比較してみても、自分がその人の人生を生きるわけでもないので、気にする意味が無くなりました。

そうして、私の人生の目的は「自分を生きる」ということになりました。自分を生きることも、他人を吹っ切れるまではしんどい時もあります。以前のように「人からどう見られているだろうか」とか「人が自分のやることを認めてくれるだろうか」と、不安材料はあります。しかし、「自分を生きる」目的からすれば、やはりそれらに気を取られていては、自分を生きることはできないと思い。自分の中で割り切っていきました。

そして、ごくごく最近になると今度は、自分だけにフォーカスして生きていても意味があるのかなと思い始めました。
人は社会の中で生きています。いくら人付き会いが悪い私でも、社会との関わりはあります。そうなってくると、また目的が少し違ってきました。

自分だけが生きるのではなく、世の中の人と共に生きて、何か人様のお役に立つことが自分のやるべきことではないかなと思い始めました。
エンターテイメントと言われる「映画」「音楽」「演劇」「TV」など、この中でいつまでも現役でファンがいる人、段々とファンが減って廃れていく人、色々あると思います。或いは、人ではなく、エンターテイメントとしての、
「人々を楽しませることを目的とした娯楽やサービス、コンテンツ全般」の目的によって、その中身の質も変わってくると思います。

ただ単に「面白ければよい」目的なのか、「人々に感動を与え、その人の人生をより良くする」目的なのか。
そこの違いに、ファンが多いか少ないか、の違いが出るのだと思います。
自分やファンを癒すために歌っているのか、自分の一貫した生き方をそれぞれの人生にぶつけて歌ってるのか。
ストーリーを追って面白かったな!で終わる小説なのか、喜怒哀楽の感動に刺激される小説なのか。

結局は「誰のために」「何のために」「なぜ」自分はそれをするのかを、頭の片隅に置いておいて、
「自分を生きる」のか「共に生きる」のか、変わりつつある今日この頃です。

じゃ、また明日!             

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