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私は「自分を生きる」ということは「自分が人生に何を求めているのか」ということを考えるのだと思っていました。
しかし、それは逆のようでした。
「人生が自分に何を求めているのか」と問われていることだったようです。
『夜と霧』という本の中で、ヴィクトール・フランクは、
「生きる意味を問うことを止め、私たち自身が問いの前に立っていることを知るべきなのだ」
「今、自分が直面している現実と向き合い、人生で求められている意味を見いだせ」と書いてあります。
これは「7つの習慣」の『刺激と反応』の中でも紹介されていました。
私は今まで「自分がなりたい自分=夢・ビジョン・目的」といったようなことを求めていました。
それは「自分が人生に何を求めるのか」という方向での考え方でした。
しかし、人生から自分に何を求めているのか?と問われた時、それは頭の中で考える私の夢やビジョンだろうか?と立ち止まってしまったのです。
フランクリンの言っている「人生」とは、宇宙レベルでいう所の「使命」とか「天命」とか言われるものではないかと。
それは「自分は何のために生まれた来たのか」ということに繋がると思います。
自分が「ああしたい、こうしたい」という個人レベルのものではなく、結局は人の役に立つことや、喜ばれることではないのかと。
それは「本当の自分」が自分以外の人に与えている役割のようなものではないかと。
或いは、自分の周りから求められていることではないのかと。
今、目の前の現実が望むようなものではなく、苦痛の日々であるならば、その体験というものが自分の人生にとって、どのような意味を持っているのか。
それを会得することが出来た時、本当の意味での一歩前進になるのではないでしょうか。
今まで「自分だけの生き方や目標」を人生に追い求めていましたが、それでは不完全のように思えてきました。
目の前の現実を直視し、その中で自分は一体何をすべきなのか?
なぜ今、その現実が目の前にあるのか?
その課せられた問いを追求することが、自分の人生の価値であり、人生から求められるものではないでしょうか。
もしかしたら、人間は生まれた瞬間から、個々人の人生から自分に何かを求められ続けているのかもしれません。
考える方向を、変えてみる必要があるようです。
じゃ、また明日!


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jibunoikiru@gmail.com

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