私たちが生きていく上で大切なことは、毎日が「楽しい」か「楽しくない」かによって人生が大きく変わってくると思います。
仕事にしても結婚生活にしても、独身生活にしても日常生活にしても、結局はその時間の在り方が自分の人生の足跡となって行くのだと思います。
昔は我慢が美徳のように言われていました。よって、会社にしても嫁ぎ先にしても、不満があってもずっとそこで勤めるのが当たり前というような風潮でしたが、今は逆です。合わない会社なら辞めて他を探した方がよいし、合わない嫁ぎ先なら離婚すればよい。という考え方です。今は、嫁ぎ先という言葉さえ使わないと思いますが・・・。
確かに一度きりの人生、無理して一緒にいる必要はないと思います。同じ自分の人生の持ち時間なら、我慢の時間より、自分が楽しい、充実した時間を過ごせる方がお互いにとって、周りの人にとっても幸せだと思います。
最近は、自分が行きたい企業などなければ、自分で起業してやる人もいます。自分の理想の会社を自分で作る。自分がやりたくてやった場合は、どんなに人から見てしんどくても本人はそれほどでもないようです。
なぜなら、自分が思うように事が運べるので、その面はあまりストレスはないようです。
家庭生活に於いても、いつも相手の顔色を見ながら不満を溜めて生活するのであれば、自分で働いて、自分の自由な時間を手に入れた方が、小さな住まいになったとしても、その方がしあわせなようです。
「楽しいか」「楽しくないか」は、結局はその人がそのやっていることにハマっているかどうかだと思います。
仕事が楽しいと思えるのはしあわせな事だと思います。自分が生まれてきた目的と仕事がハマっていれば、それは一番幸せなことです。もしも、そこに溝があるなら、自分がしあわせに生きているかどうか、考え直しても良いと思います。
例えば、お店の定員さんにしてもその対応の仕方によって、楽しんでやっている人とそうでない人はすぐにわかります。楽しんでやっている人は、どんな些細な事でも「どうすればお客様が喜んでくれるか」を頭の隅に置きながら応対をしています。そうなると、こちらも嬉しくなり、ついつい買ってしまったり、注文したりしてしまいます。
私たちは絶えず誰かとキャッチボールをしています。楽しくボールを受けてくれるのか、それをまた楽しく返してくれるのか。そのキャッチボールによって、相手との良好な距離感が出来、親しくなっていくのだと思います。
一度きりの人生、「自分は何をやっていて楽しいのか」「自分が歩きたい道だったのか」自分に聞いてみる必要がありそうです。
じゃ、また明日!