私は昔から「無償の愛」というのが好きでした。マザーテレサやガンジーなど小学校の図書館で読んだ偉人の話で、何となく見返りのない愛っていいなーと思っていました。当時は当然「愛」など知る由もなかったのですが、それらの人の生き方が素敵だと思ったのです。それ以降、「愛」というものに縁もなかったし、考えたこともなかったのですが、瞑想を始めてから「人間愛」というものを知りました。
最近購読し始めたnoteでたまたま岡本かの子さんの話が出ていました。
前回1970年の万博のシンボルである「太陽の塔」をデザインした芸術家、岡本太郎氏のお母さまです。
それを知ったのはかなり後になってからですが、岡本かの子さんのことは国語の授業で習った覚えがあります。
その岡本かの子さんの「愛」というものは「愛されるより、愛することの自由」というものでした。
「愛することというのは、依存ではなく創造であり、新しい何かを生み出す行為である」と。
よって、「子を産むように作品も産んでいった」のだと思います。
かの子さんの「愛」は「他者を支配しない愛」です。なぜなら、愛されたいという気持ちは、時には相手を束縛し、関係を歪めてしまうからです。だから「与える愛」に徹して、見返りを求めるのではなく、「自分の存在そのものを渡す」ような生き方を選んだようです。
「愛されることに依存せず、愛することに自分の意志を見出だす」というのが、愛する自由であり生きる自由だと考えていたようです。愛するとは、相手に何かをしてあげることではなく「自分がどう在るか」を決めること。それは、愛することで自分を生きているからです。
かの子さんの「愛することで自分の存在を証明する」という考え方は、自分が「忘れられない存在になること」という意味を持ちます。見返りが無くても、誰かの心に記憶として残ること。それこそが「愛を実践する」ことだという考えです。
私が「無償の愛」と思っていたことが、このnoteを読ませていただいて、はっきり整理されたように思います。
岡本かの子さんの愛のカタチは「愛されるかどうかより、どんな風に愛するかを選べる人が一番自由だ」と。そして「愛することは、行動することでしか存在は証明されない」と。
そうだったのか、と腑に落ちたnoteでした。
じゃ、また明日!