人を判断する時、人間らしさの証はどこにあるかというと、私は「自分に正直に生きている人」がその人を表していると思います。
完璧な人間じゃなくても、立派じゃなくても、いつも正義の人じゃなくても、ありのままに自分に正直に生きている人の方が安心しますし、信頼も出来ます。
正しさや価値観というのは、その時代によって変わります。
私自身、若いころは正しく生きることが良いことだと思っていました。しかし、正しさというのは時代によって変わるし、その正しさは誰が判断するのかということになります。
コロナ禍の時でさえ、最初はワクチンを打つのが正しくて、打たない人は迷惑だというのが価値観でした。ワクチンを打つ正しさは政府が勧めていました。国民を守るべき政府の正しさです。
しかし、あれだけ毎日テレビでワクチンを打つように言っていた人が、今になってワクチンは効果がなかったと堂々と言っています。
よって私の中でも「正しさ」というものに重きを置かなくなりました。それよりも「正直に生きている人」の方が信頼できます。
ともすれば人は社会的に生きる時は「理想の自分を演じている」時があります。「こういう風に生きたいな」「こういう風に生きれば人は付いてきてくれるだろうな」と。
しかしそれは自分の中での理想像です。
信頼を得るには理想像の自分を演じるより、「弱くて、愚かで、矛盾に満ちている自分」を出した方が安心感を与えます。「理想的な自分」から「本当の自分」に還ることが愛すべき存在になると思います。
なぜなら、理想的な自分を出されたら、こちらも理想的な自分を出さなけっればならないし、本当の自分を出されたら、こちらも本当の自分をさらけ出すことが出来るからです。
完璧ではなく、弱さや嘘のない自分を出すことが信頼関係の第一歩だと思います。
「正しさ」よりも「正直さ」。「強く見せる」よりも「弱さを認める」こと。
「自分の弱さを受け入れる力」をつけて、正直に生きようとする姿は、一番美しいと思います。
じゃ、また明日!