人は「美」というと完成されたようなものを想像します。
ファッションでもお化粧でも、美しく見えるために、色々付け加えて「プラスの美」を追求していきます。
しかし、私は反対に「シンプル・イズ・ベスト」の方が好きなので、どちらかというと「マイナスの美」の方を好みます。
いらないものをそぎ落とす。これはカラダでも精神でも、自分にとって必要でないものは手放した方が、スッキリします。特にヴェーダ瞑想をやり始めてからは、今まで囚われていたものや、人から言われて必要だと思っていたようなものをどんどん手放し、非常に楽に生きられるようになりました。
日本では古くから伝わっている「詫び」「寂び」の世界。これは千利休の時代に、当時人気だった中国の鮮やかな色彩や凝った装飾の輸入陶器ではなく、ありふれた日本の陶器を選ぶことで、華やかな器では目に入らなかった繊細な色調や手触りをじっくり味わうように、促されたとか。
そこに日本のつつましやかな文化が含まれているように思います。
日本建築に於いては、日光東照宮の陽明門は12本ある柱のうち、1本だけ彫刻の模様が逆向きになっていいるとか。鎌倉時代に兼好法師が書いた徒然草の中に「何事においても完璧に整っているものよりも、やり残しがあった方が味わい深く、廃れずに残っていくものなのだ」というような内容が書かれているようですが、日光東照宮の逆柱も、あえて逆柱を用いて未完成を重視したと言われています。
また「建物は完成と同時に崩壊が始まる」という言い伝えを東照宮の宮大工は逆手にとり、あえて本来の完璧な状態ではない形にすることによって災いを避け、魔除けのために逆柱にしたとも考えられています。
新聞のチラシやポストに入っているチラシにしても、色鮮やかにきれいに印刷されたチラシよりも、手書きで「〇月〇日にオープンします!」と住所と電話番号と地図を書いたチラシの方が目を通しているような気がします。
プロが仕上げた完璧なものばかりの今だから、完ぺきではないものに目が行き、その未完成の部分に心を寄せてしまうようです。
未完成だからこそ、その「余白」が心を動かしているのかもしれません。
じゃ、また明日!