本日、ある方のnoteで「自省」と「反省」を書いておられました。
反省とは過去の失敗を振り返り、悔いる行為。それは「悪かったことを謝る」「できなかったことを悔いる」ことであり、未来への力には繋がりにくい。
自省は自分の現在地を冷徹に点検し、未来に進むために再設計を行う行為である、と。
この違いは、平安時代の日記が「自分に向かう言葉」であったのに対し、現代のSNSは「他人に向かう言葉」が中心、とか。なるほどなと思いました。
ヴェーダ瞑想は自分と向き合う内省です。外に向いていた目を自分自身に向けて、本当の自分の気持ち、本当に自分がやりたかったことに向かう生き方です。
そこには「いいね」や「承認欲求」など必要ないのです。
自分が「いいね」と思うのか、「自分が自分を承認すること」ができるのか。ただそれだけです。
自分の夢や自分のやりたかったことに向かって、ただひたすらに歩むだけです。その過程には当然失敗や苦労が伴います。それでも途中で諦めずに最後までやり通す。最後の「やったー!」「やり抜いた!」が自己肯定感になるのだと思います。
しかも、その感覚はやった人にしか感じることが出来ないのです。
そして、そのやり抜いた自己肯定感は次なる自分の未来に繋がるのです。
未来は誰かが変えてくれるものでも与えてくれるものでもありません。
自分が自省しながら掴み取っていくものだと思います。
その世界は「いいね」や「承認欲求」の世界ではありません。
自分が自ら再起動を繰り返し、自分という人間をこつこつと積み上げることでしか手に入らないものだと思います。
昔、日本は品質のよさで「メイド・イン・ジャパン」と言って日本の商品が信頼を得ていました。
それが外国の安い商品に変わって「安かろう、悪かろう」が当たりまえになってしまっています。
私が気に入っていたガーゼのバスタオルが、当時から工場は海外にありましたが、素材も本物でとても使い心地が良かったのです。しかし近年、デザインも色も値段も全く同じものなのに、肌触りの違いと水をあまり吸わないことに驚きました。本来のガーゼは水を良く吸うのに、です。タグの素材を見てみると外国語で書かれていてわかりにくいのと、多分、リサイクルのペットボトルの素材が多く使われていると思います。
確かにペットボトル素材の衣料も出回っているので、それはそれでよいのですが、バスタオルが水分を吸わなければ、バスタオルの意味を成しません。よく見ると、以前日本の企業名だったのが、外国の企業名になっていました。日本企業が売ったのか、外国に買われたのだと思います。
形や価格が同じでも、質がまったく変わってしまい、これこそが「安かろう、悪かろう」が当たりまえになった現状です。商品名は以前と同じ「ガーゼバスタオル」です。
私のように古い人間は、本物のガーゼの肌触りを知っています。しかし若い人たちは私が手にしているペットボトル素材の入ったものをガーゼと思い込みます。
その素材が悪いと言っているのではなく、洗濯して脱水すればもう水分は全くありません。よって、洗濯したかどうか迷うくらいです。それならその特性を活かして「水を吸収しない素材」として生かせばよいと思います。
昔の日本のもの作りは「より目的に近づくにはどのようにすればよいか」という一人ひとりの職人の自省があったと思います。今は、一人ひとりが自分が携わっている仕事に対して自省をするということがなくなってきていると思います。むしろ「言われた通りにすればよい!」と。
自己点検を忘れてしまっては、自分も会社も日本も未来を描くことは難しいと思います。
じゃ、また明日!