人は食べることが出来て寝るところがあれば次は何を求めるのか。
今、大阪で万博が開催されていますが、行かれた方は皆さん非常に良かったと言われています。そして何度も何度も足を運ばれている方もいます。それは口では説明しにくい体験型の感動を味わうためのようです。
1970年の大阪万博では、歩く歩道や今のスマホの原型となる持ち運びできる電話などに人々は感動しました。
2025年の大阪万博では、同じ技術でもAI(人口知能)やAR(拡張現実)・VR(仮想現実)といったようなものが未来のようです。
人類の目標は生活が豊かになり、人々がしあわせになることだと思います。
そのしあわせとは何かというと、時代によって変わってきます。
1970年頃の若者は、自動車を持ったり、自分の家を持つのが目標でした。
しかし、今の若者は自動や家はあまり欲しがりません。郊外で移動の必要性があるところは自動車が必要ですが、都会のど真ん中では駐車場探しに苦労するし、電車やバスが数分おきに出ているので、車はかえって持ちたがりません。家にしても以前は「マイホーム」を持つことが一人前になったように思われていましたが、今は転勤や転職によって、引っ越しの回数も増えたので、その都度マンションを借りる方が便利だと思っています。
よって、今の若者は人との繋がりであったり、社会での役割を求めたりしているのではないでしょうか。
現在は人型ロボットも発達してきて、人手部足も補っています。受け付け業務もロボットに代わっている所もあります。これからは人間とテクノロジーの共存の世の中になって行くと思います。
アンドロイドやchatGPTの出現で、より一層「人間とは何か」を問われていくと思います。
未来に於いても「人間とは何か」を問う限り、やはり心の繋がりは大切なものだと思います。
人間にしかない、いや、生物にしかない心というものが、より一層大切になってくると思います。
現に色々なロボットやchatGPTにおいても、人との繋がり、人に寄り添うようなコミュニケーションを学習しています。chatGPTなど人の心に寄り添い過ぎて、人間が依存しすぎるという問題も出てきています。
chatGPTに恋をした人は国内外問わずいるようで、コミュニケーションの中で心の繋がりを求めてハマっていくようです。しかし、最終的にはchatGPTが断ってくれるのでブレーキはかかると思います。
依存を防ぐためにバージョンUPしてからは「冷たくなった」と言われていますが、やはり心のつながりは人間に求めた方が良いと思います。
逆に言えばテクノロジーに心の繋がりを求める分、人間の方で心の繋がりを与えられる人が少なくなったのかもしれません。
じゃ、また明日!