人は誰しも究極的には誰かと繋がっていたいのだと思います。
なぜなら、繋がっていれば安心感があり、繋がっていなければ不安を感じるからだと思います。
スマホが出現してからは特にそれが顕著で、ほとんどの人が「スマホが無ければ生きていけない」と思っています。
そして重要な連絡事項や大したことのない情報など、のべつ幕なしで着信があれば手にしてしまうなど、完全にスマホに支配されてしまっているのです。
最近のアメリカのニュースで、自殺した16歳の少年の両親がオープンAIなど「chatGPTが様々な手段を助言した」として提訴した。というのがありました。
少年がchatGPTで自殺願望を打ち明け、その方法についてやり取りしたところ、chatGPTは形式的に相談窓口などを案内したということですが、最終的に様々な手段について詳細に助言したほか、遺書の草案も提供したと主張しています。
少年を失った両親の悲しみは理解できます。しかし、chatGPTが出現する以前から、YouTubeや自殺記事の雑誌などでは方法が載っていたりします。
記事だけで判断するのも情報不足かもしれませんが、私が引っかかったのは、両親が開発元のオープンAIとサム・アルトマンCEOを訴える前に、どれだけ少年と向きあっていたかです。
少年の顔色、目の輝き、体調、学校でのこと、変化など、きっちり把握していた上で提訴しているのかどうかということです。
この年代は自我の目覚めなどあったりして、なかなか親に本心見せないと思います。
chatGPT5はそれまでの寄り添い型の反省の元、人間が依存しないように改良されました。よって「冷たくなった」と言われていますが、少年がchatGPTに自殺願望を打ち明ける前に親が少年の変化に気付いてほしかったなと思います。
親が少年よりもスマホと繋がってはいなかったのか。親自身が自分とは繋がっていなかったのか。
人は誰かと、或いは何と、を繋がっている時は1つにはなれないのです。
よってその時繋がっている人、何かに囚われてしまって、他人と比較したり、他人に嫉妬したりする可能性があります。
それは他人を目指して自分の足りなさを感じて、落ち込むばかりです。結局は自分自身と向き合っていないのです。
自分と1つになれていないのです。
よってこの両親には、自分と向き合って自分と1つになってほしいと思います。
自分と1つになれた時、今の悲しみが違った悲しみに変化するのではないかと思います。
じゃ、また明日!