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私たちは「正しさ」が一番だと思いがちで、確かに正しいことは良いことだと思っていました。
しかし、よくよく考えれば、その正しさって人によって、時代によって違うのではないかと思うようになりました。

コロナ過の時、マスコミもこぞっワクチン接種を取り上げており、新型コロナウイルス感染症対策分科会元会長の尾身氏も、今年の6月になってTVのある番組で「感染を防ぐ効果はあまりない」と、発言していました。

当時、世間では「医療関係者の子どもは保育所に来さすな」とか「公園であそばせるな」とかヒステリックに叫んでいた人もいますが、それはその人の中で正しいと信じていたから、そのような声を上げていたのだと思います。
ただ、その人がコロナに罹った時、病院に行って医療従事者の方々にお世話にならなかったのかなと、思ってしまいます。

現在、ワクチンを打った人が2回も3回もコロナに罹り、打っていない人が罹らないという皮肉が目の前にあります。
しかも昨日ちらっと流れていたニュースでは、「あれは生物兵器だった」とか。その事実は分かりませんが「正しさ」とは、結局は自分を守るためのものであり、時代や文化によっても変わって来るものだと思います。
そして、正しさはその時代と社会が作りだした「一時的なルール」に過ぎないものだと思うし、絶対的なものではなく、相対的なものに過ぎないのではないかと思います。

戦争に於いても「お国のため」という社会が作りだした言葉で戦地に行って命を落とす。
何の権利をもって人の命を奪うのか。他人の命を奪うことがそんなに正しいことなのか。そして、その「お国のため」であったはずのものが、日本国民をどれだけ幸せにしてくれたのか。
戦後、後遺症の方がどれだけ傷が深いものだったのか。

これからの時代、1人ひとりが「正しさ」を自分で判断し、自分で責任をとる覚悟が必要だと思います。
正しさは「1つの道しるべ」であるかもしれないけれど、目的地では無いということ。
自分が判断した正しさに対しては自分が責任を持つということ。
そして、それを決して人に押し付けないこと。

コロナワクチンにしても、戦争にしても、「自分はそれをどう受け止めて、どう感じるのか」を自分として考えることが「正しさ」だと思います。

相手を誹謗中傷したり、非難したりするよりは、相手を理解しようとする優しさ。

エネルギーは確実にその方向に使われるはずです。
「正しさ」よりも「優しさ」を選択したいと思います。

じゃ、また明日!

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jibunoikiru@gmail.com

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