今から思えば、私は「決断」というものを非常に甘く捉えていました。
恥ずかしいくらいで「こっちを選択しよう!」と決めた程度で、そこには肚を括ることもなく、当然行動も伴っていませんでした。
【AIによる概要】によると、
「決断する」とは、複数の選択肢の中から1つを選び、それを実行することを決めることです。
選んだもの以外を「切り捨てる」という側面も持ちます。
と、ありました。
「実行する」ということが抜けていました。「切り捨てる」ということも抜けていました。
こちらの方が決めることより大切なのに、決めて終わりの状態でした。
そんな私もやっと、本当に決断することが出来ました。
残り少ない人生をどう生きるのか。どのように死んでいきたいのか。それを時間をかけて考えていくうちに、「私なんか」とか「でも、だって」がいつの間にかなくなり、「私にしかできないことは何か」「私が本当になすべきことは何なのか」と、自分の人生の中心に自分を置くことが出来るようになりました。
もちろん自分自身の中でも葛藤や不安はありました。それを超えてやっと決めたと思ったら、今度は周りの親しい人から反対されました。それは私を心配しての反対ですが、かといってそれらの人達の考える安全な人生を私が歩むのも、私の人生ではないと思い、その人達の意見をことごとく断っていきました。
親しければ親しいほど、その後の人間関係を考えると断ちたくはなかったのですが、それ以上に「自分のなすべきこと」の方が私にとっては大切だったのです。自分でもこういう決断が出来るとは思ってもいませんでした。肚を括るということは、こういうことなんだと、初めて経験したように思います。
一度肚を括ると、「そのためにはなにをすべきか」と「行うべき道」が見えてきて、行動するしかなくなってきたのです。
決めて断てば、行動が待っていたのです。
結局今までは、周りから反対されて自分が躊躇していた、その躊躇が自分の足を引っ張っていたのです。
人は生まれてくるときも、この世から去る時も一人です。そのたった一人の自分の人生は自分で責任を持ちたいものです。最後の最期まで人から言われた人生を歩んでは、自分がこの世に生まれてきた意味がないと、心底思いました。
自分の人生、自分がよりしあわせになれる決断を下したなら、その他のものを断ってその道を進むのが「自分を生きる」ということだと思います。
じゃ、また明日!