恥ずかしながら私は最近まで「事実」より「真実」の方が真髄だと思っていました。
しかし、それは捉え方の違いでした。
AIによる概要
事実は、客観的に存在または、発生した事柄を指し、誰でも確認できるverifiableなものを指す。
真実は、事実に基づいて解釈されたり、信念や価値観が加味されたりした、主観的な概念を指す。
事実は誰が見ても同じ結論に至るような客観性、再現性を備えており、証拠やデータを基に確認可能なものです。
本当に起こったこと、現実に起きていることが「事実」であり、推測や憶測、噂などではなく、本当の状態なのです。よって第三者が検証しても同じ結果となり、客観性に裏打ちされた情報です。
真実は価値観や真理などの、個々人の信念や認識に深く根差す特性を持つため、主観的側面が色濃く表れます。
特に企業理念など、「真実」という表現を用いるケースがあります。これは創業者が、ゆるぎない価値観を強調したいときに選ばれることが多いとか。日常会話などで使われる場合は、本人が信じている内容を「私の真実」として叫ぶことがありますが、全て万人が共有できるものでもありません。
よって、事実は誰がどう見ても、同じ結果なのでゆるぎない事実だと思います。
真実は、「真」という字がついていたので、私も錯覚を起こしましたが、個人個人の真なので、同じ見え方とはならないようです。
客観性に裏打ちされた「事実」と、主観性に裏打ちされた「真実」。
よって、週刊誌並みに「これが真実だ!」と言われても、その真実は複数あるということです。
主観と客観。私たちがものごとを見る時に、今、自分は主観で見ているのか、客観で見ているのかをよく吟味しながら考える必要があると思います。
本質はどこにあるのか。どちらも本質のように思いますが、本質の中の本質を見ていく必要があるのではないかと思います。
「事実は1つ」されど「真実は人の数だけある」
じゃ、また明日!