今日、たまたま10年以上前の稲盛和夫氏の文章を目にしました。
それは、「人間にとって、成功さえも試練なのだ」というものでした。
私たちはビジネスでも何でも、成功して皆に賞賛され、地位や名声や財産を獲得したら、それで頂上に上り詰めた気になります。そして、それを見た人は羨んで、自分もあそこまで上り詰めようと思ったり、或いは嫉妬の念が湧いてきたりします。
しかし、稲盛氏はそれさえも天が与えた厳しい「試練」なのだとか。
なぜなら、地位や名声におごり高ぶり、酔いしれたりして努力を怠るようになるからだと。
反対に、成功を糧に、さらに高い目標を掲げ、謙虚に努力を重ねていく人もいます。
今は何でもSNSで暴露されます。よって、大スターだと言われている人でもその暴露によって地に落ちてしまうこともあります。大企業も同じくです。
「成功」が自分を狂わせ、周りを不幸にしてしまうのです。
稲盛氏が「天は成功という”試練”を与えることによって、その人を試している」と言われているのは、まさしく現在にも当てはまります。
企業のみならず政治の世界でも、大臣になったり議員になったりしても、過去の不祥事を暴露されて消えていきます。大小さまざまな苦難の道も、それらはすべて自分が蒔いた種の試練だと思います。
その試練をどのように受け止め、どのように対処していくかが、その人の人間性を試されているのだと思います。
人間としての本質的な信念を持った人は、決して自らを見失うことなく、苦難に対しても真摯に立ち向かい、さらに精進を積んでおられます。だからより一層、人間として大きく成長していくことが出来るのだと思います。
そしてそういう方々が、結局は「社会をより良く動かしていく」のだと思います。
人間は「死ぬまで勉強」だと言われますが、止まった所がその人の終着点になるのだと思います。
それはその人の「人間としての本質的な生き方」の表れでもあると思います。
じゃ、また明日!