幕末の人達は「武士道精神」とか言って、国をよくするために己を磨き、「公のために生きる」ことが自分の生き方、あり方だったと思います。それが今は、公の人でさえも自分のために生きているようにしか見えません。
すべてが私利私欲により、民のためではなく自分のための判断基準になっているように思います。
昔学校で習った「仁」「義」「礼」「智」「信」は遠い宇宙の話のように感じます。
「思いやり」「正義」「礼儀」「智慧」「信頼」といった、人が常に守るべき道徳的な考えです。
社会の中で調和を保つために重要とされているものです。
この5つを今の国会に当てはめてみても、ほど遠い現実ばかりです。
少なくとも幕末の時代は「日本をよくするためにどうすればよいか」で、リーダーたちは争っていたと思います。
武道を学び、心身を鍛え、国の未来に向かって立ち上がっていました。
今は「長いものに巻かれろ」で、正義で立ち上がろうとする人は潰されます。自殺に追い込まれます。
選挙での若者の投票率が低いのも「自分が1票くらい入れても、何も変わらないから」というのをよく聞きます。
この諦めの意識は新聞やテレビ、或いはSNSで見ている現在の政治の姿から受け取ったものではないかと思います。
それと社会科で自分たち一人ひとりの1票が国を動かしているのだという、政治の仕組みが意識の中にまで伝わっていないのだと思います。
国は「支配する」ものではなく「和する」ものだと思います。
足を引っ張りあって「おらが大将」になるのではなく、「何のために生きて、何のために命を使うか」。
これが幕末の志士たちの共通した生き方であり、国に対する想いだったのではないかと思います。
自分の「命」と「生きざま」とを真剣に考えるから、「国」というものが身近に感じられたのではないかと思います。
昔、「もやしっ子」という言葉がありました。もやしのようにひょろっと細長く体力のない子どもを指し、精神的な弱さや打たれ弱さといった意味合いでも使われていました。
もしかしたら、人間は一人1人根を張って生きるものだということを、教えられないままに生きてきたのかも知れません。人は「何のために生きて、何のために命を使うか」という自分の「根」を持たないと、表面的な外の世界だけに目を奪われるだけで、人生が終わってしまうかも知れません。
じゃ、また明日!