以前「学校は社会で必要な本当の力を、何1つ育ててくれない」というのを聞いたのですが、今日また、まったく同じことを言われている人がいました。
私自身も学校を出て働き始めた時、学校で学んだことと目の前の社会というものとにギャップを感じたものです。
テストの点数で順位を決め、答え合わせをすることが学んでいると信じている。
また、みんなと同じでないとはじかれてしまう。
いざ社会に出てみると「問を立てろ」と求められる。実社会では学歴や資格はほとんど役に立たない。
そして長年働いて退職した先には、何が待っているのかと思ってしまいます。
年金で何とか生活できればそれで自分の人生、しあわせだったのでしょうか
今日、ニュース番組で「今度の選挙に行きますか?」とインタビューしていました。
公平な割合で放送していたのかどうかわかりませんが、「自分の1票くらいで政治が変わると思わないから行かない」
「実生活と関係ないから行かない」「誰を入れてよいかわからないから行かない」「行ったところで政治が変わるわけないし」「自分たちと別の世界のようだからわからない」「予定を入れているので行かない」「関心がない」
ほとんど行かない中で「毎回行っています」「予定があるので期日前投票に行きます」のみ。
どういう意図で流しているのかわかりませんが、これを見る限り若い世代は「みんな行ってないから私も行かなくてもいいや」となりそうな感じがしました。
小学校でも中学校でも社会科の勉強はあります。高校では公民の科目があります。
科目があって勉強しているはずなのに、子どものみならず20代30代の日本人は、社会と自分が結びついっていないのです。自分の1票がどう社会と繋がっていくのか教えて貰っていないのです。
選挙権は18歳からになりました。各学校で投票をすれば済むことです。そしてそれが社会人になってからの「選挙の時は投票に行く」という行動に繋がるのだと思います。それこそ生きた社会の勉強だと思います。
今、16歳の高校生がyoutubeで「選挙に行こう!」と一人で街頭演説をしています。自分たちの1票が政治を動かすことになるので、とにかく選挙に行こう!と、呼びかけています。
選挙に行かないということは、生活できたらそれで満足!自分は今しあわせだからそれでよい!と、言うことでしょうか?
本当は各人には「選べる人生」があるはずです。それを「人生は選べない」と、なぜ思い込んでいるのでしょう。
そういう状態で本当にそれぞれが「しあわせ」なのかどうか。
自分の人生は自分がハンドルを握るべきで、学びとは死ぬまで「問い続ける力」だと思います。
じゃ、また明日!