行きつけのレストランでコース料理を頂いたとき、今日の料理はどうでしたか?と帰り際に聞かれました。
それでいつも感じたことをそのまま伝えるのですが、今日は前菜からスープ・メインのソース・グリーンカレー・デザートまでグリーンと黄色で統一された感があったので、それを伝えました。
すると、それをわかってくださって嬉しい!と喜ばれていました。
そこのレストランは地産地消で新鮮で安全な材料を使われています。そして1つ1つの料理に時間と手間をかけておられます。その愛情が優しい上品な味として醸し出されているのです。
味のみならず、盛り付け、色彩など全体を通して季節を感じさせてくれます。それはこのコース料理の持つ意味や価値であり、料理長やパティシエが創る意味や価値なのです。
反対にそれを頂く側はただ「お腹いっぱいになりました」というのもありでしょう。
しかし創る人の意図や意味を感じられたら、よりそのお料理の価値を感じることが出来るのではないかと思います。
例えば、同じ絵画を見ても「きれいな絵ですね」で終わるのか、作者の意図や技法までを感じ取って鑑賞するのかの違いだと思います。音楽もしかり、文学もしかり。
受け手の自分がどれだけそこから感じ取ることが出来るのかどうかによって、そのものの見方や価値が変わってくるのだと思います。
同じ「水」でも中東や北アフリカの国々の人にとっての「水」と、日本人の蛇口をひねれば出てくる「水」とは同じ「水」であっても意味合いや価値が違ってきます。日本でも震災があって水道が止まった時など、普段当たり前に使っている「水」のありがたさが身に染みてわかると思います。
そのように同じものでも情報量が違うように感じるのは、その情報を受ける側の人間や状況によって、その対象から受ける「意味」や「価値」が異なってくるのだと思います。
「あの人は良く気が付く人だ」と、言われている人は、同じ人物を見た時でも、パット見で受ける言葉や態度の印象だけではなく、表情や話し方、声のトーン、目の動きなど、色々なその人の情報から判断しているのだと思います。
そうであるのならば、私も表面だけではなく、より色々な情報をキャッチできるようになって、物事を判断していきたいなと思います。
じゃ、また明日!