アルバイトやパートで働いている人から「リーダーは何もわかっていない」とか、「一部の人の意見を聞いて決め付けている」などと聞く時があります。
私はリーダーという立場になったことがないので、そういう時はどうすればよいのだろうと思っていると、ある方のメルマガを読んでこういう考え方もあるのだなと思いました。
私がよく目にしていたのは「やる」か「やらない」かのどちらかだということでした。これは自分が何かをしたいと思ったり、よりよくなりたいと思った時に、「それを、やるかやらないか」のどちらかだと。
自分が主人公で何かをする場合はこれしかないと思います。
しかし、自分がそこまで主体的ではなく、「アルバイトやパートをする必要があったから」だとか「正社員ではないから、そこまで考えてする必要がないから」或いは「そこまで求められていないから」という場合は、「やる」「やらない」の視点ではなく、「できる」か「できない」かの視点だけだとか。
そこには「頑張れない理由がある」のであって、リーダーは「なぜ、頑張れないのか」というその背景にある構造的な問題を見抜く力が必要である、と。
確かに「やる」か「やらない」かで見てしまうと、やらない人は「やる気がないからだ」ということで、その個人の問題になってしまいます。
しかしそれを個人ではなく、システムや環境ととらえた場合、また違ったものが見えてくるかも知れません。
頑張れない理由にはいろいろな問題が絡んでいる場合もあります。それを1つ1つ解きほぐすことにより、頑張れなかった人が頑張れるようになる可能性もあると思います。
3人のレンガ職人の話ではないけれど、自分たちが作ろうとしているのは大聖堂でこんな大聖堂を作ろうとしているのだと、目標としている大聖堂を見に行って中に入ってその空気を感じ、これは素晴らしいと感じたならば、1つ1つのレンガを積む作業であったとしても、これが出来上がったときにはどれだけの人を喜ばすことが出来るのだろうと「人々の喜びを想像しながらレンガを積むことが出来る」と思うのです。
その想像ができない場合、「ただレンガを積まされているだけ」になってしまい、リーダーが思っているように「できない」ということになるのではないかと思います。
仕事というものは、作業そのものだけではなく、その背後にある未来の物語を肌で感じているかどうかによって違ってくるのではないかと思います。
日本人のお風呂好きは、お風呂に入った時の気持ちよさを知っているから、温泉が好きなのです。
外国の人は日本のお風呂を裸で入る文化が違うので敬遠していました。しかし、経験してその気持ちよさを知った人は、次は温泉に入りに来ています。
仕事もその価値を知っているか、体験したことがあるかによって、完成した時の価値を想像しながら仕事が出来るかどうかになってくるのではないかと思います。
じゃ、また明日!