人は誰でも夢があると思います。最近は自分の夢がわからないという方もおられますが、夢は大きくないといけないと思い込んでいる方は、自分の描いているのは小さいので夢ではないと思ってしまうようです。
私が思う夢とは自分の理想のイメージのようなものなので、大きい小さいは関係なく、夢が実現したときに自分の感情が満たされれば、それがその人の夢だと思います。
例えば、億万長者になるのが夢の人は一生懸命お金を溜めて億万長者になるだろうし、好きな人と一緒にいるのが夢の人は、質素な生活でも一緒にいるだけでしあわせを感じると思います。
夢を追いかけるとかよく言われますが、追いかける時にどのくらいの本気度かによると思います。
イソップ寓話の「3人のレンガ職人」の話ではないけれど、旅人が道を歩いていてレンガを積んでいる人に次々と話しかけました。その3人の答えの違いがその人の生き方だと思います。
「ここで何をしているのですか?」
1人目の人は「見ればわかるだろう。レンガ積みに決まっているだろ」と、与えられた事に対する愚痴を伝えました。
2人目の人は「この仕事のおかげで俺は家族を養っていけるんだ」と、仕事があることの感謝を伝えました。
3人目の人は「歴史に残る大聖堂を作っている。素晴らしいだろう!」と、後世に残る事業に加わり、世の中に貢献する喜びを伝えました。
同じレンガを積むという仕事なのに、それぞれが描いている目的によって、仕事の質が変わってくるのです。
やらされている意識でレンガを積んでいると愚痴ばかり出てくると思います。反対に出来上がった大聖堂を想像しながらレンガを積んでいると、出来あがれば出来上がるほど自分を誇りに思い、よりよいものをと仕事に執着すると思います。
人は自分の周りにいる人を基準に考えてしまいます。よって、1人目のレンガ職人には同じような人が、3人目のレンガ職人にはやはり同じような人が集まってくると思います。同じ「やっています」「頑張っています」の言葉の中にも、レベルの差はあると思います。
本当に叶えたいと思う夢には、誰にどう言われようが執着し、その夢を追いかけて努力し続けているのだと思います。だからそれは行動として現れるのだと思います。
じゃ、また明日!