人は何か良いこと、うれしいことがあると、そのしあわせは永遠に続いてほしいと思うし、どこかで続くものと思っています。
しかし、何事も「始まりは終わりで、終わりは、また始まり」のようです。
それは大きな流れからいうと、ある意味「成長」というものかもしれません。
その典型が生き物だと思います。我々人間も生まれた瞬間から各個人の「命」という持ち時間があります。
オギャーと泣いた瞬間から、1秒1秒持ち時間が消えて行っているのです。
これこそ「始まりの終わり」であり、その人の子どもや孫がその終わりの時代から次の時代への始まりになるのだと思います。
季節もそうです。春夏秋冬は休むことはありません。秋から寒い冬に移り変わり、木々の花や葉っぱも落ちてしまって枯れ木になったと思ったら、その時は土の下で新たな命が息づいているのです。春になって一斉に芽が出て花を咲かせるために、誰にも見えないところで準備しているのです。これも新たな命の循環です。
自分自身もそうです。何か勢いに乗っていたなと思うと、必ず衰退する時があります。そしてどん底のままかというと、また、浮かびあがるのです。それの繰り返しで二度と立ち上がれない時が自分の最終の時だと思います。
しかし、肉体的には終わってしまっても、その人の価値観、生きざまは他の人によって受けつがれ、新たな始まりとなっていくのです。
よって、ものごとは循環しており、変化が常であって、その変化が生きている証かもしれません。
「変化は常である」ということなのに、なぜか現状にしがみついている自分がいます。自分の可能性を信じるか、恐れで立ち尽くすのか。
企業も「老舗」という看板の中で、内側は絶えず変化し続けているのだと思います。だから何年も生き続けて引き継がれているのだと思います。
今、世の中が物凄いスピードで流れているように思います。
映画・テレビのように見て楽しんでいたものがパソコンになり、見るだけではなくSNSなど自分が参加できるようになり、それが携帯電話という小型化されたものが発達し、スマホの中で色々な事がやり取りができるようになりました。
しかし、それももうすぐ流れが変わり、眼鏡の中にすべてが入ってしまうようになるようです。
眼鏡を掛けただけでデータやら何から何まで映り込み、詳しいことはわかりませんが、脳と眼鏡が連動すれば、思っただけで処理ができるようになるかもしれません。
すべては、始まりは終わりで、終わりはまた始まりの中で、変化・成長し、進化していくようです。
じゃ、また明日!