本日目にした文章に「共感は、必ずしも”理解”する必要はなく、ただ心を向けることから始めればいい」と。
心を向けるということは、心で感じるということだと思います。
「感性が深まれば、選択も関係も、そして逆境さえも、ただの“出来事”ではなく、”成長の扉”に変わっていく」とか。
いろいろな技を使う道場などでは、それぞれの技以前に心の修養もしていると思います。
それはなぜかというと、力だけでは動かせないからです。
力で相手をねじ伏せようとか、力で相手を投げ飛ばそうとかしても、その通りにはなりません。
その時に必要なのが「心=意識」だと思います。
例えば合気道の達人などの動画を見ると、力を入れていないのに、相手が倒れたり膝から崩れたりします。
一般の人なら、相手を倒そうとすればかなりの力で押すか引っ張り込まなければ、相手は倒れません。
達人たちは、力で動かすというよりも「心=意識」で動かしているので、自身はあまり力を入れていないように見えるのだと思います。
私たちの周りでも、自分の進むべき方向に心を向けている人には、みんなが付いて行っています。
そして、そういう人がリーダーになっています。
人がついていくリーダーは、明確な目的があり、身も心も1本の筋が通っています。
反対にリーダーの心が定まっていないと、人は動きません。
あちらとこちらの間に立ってどちらにも明確に心を向けられず、結局どちらにも影響を及ぼすことができないのです。
私たちがよく悩むのは、頭と心が1本の幹にならないということです。頭ではわかっているしそうしたいと思っているのに、心が納得しておらず違う行動に出てしまう。
昔から「心身一如」という言葉がありました。精神(こころ)と身体(からだ)は切り離せない一体である、と。
これが先の道場主の姿であり、リーダーの姿だと思います。
まずは自分自身の心と体が同じ方向を向くよう努力し、前を向いて歩く時は、しっかり心も前に向けて歩く必要があると思います。
じゃ、また明日!