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人は他人の期待に応えたいと思ったり、人の役にたちたいと思ったりします。私なども生きる目的の中の1つに人さまのお役にたちたいと思っています。しかしそれが強すぎると、時には自分で自分を不自由にしている時があるかも知れません。

人によっては、その人の本来持っている優しさが自分を苦しめたりするのだと思います。人間関係をうまく続けるためには、100%同意していなくても、ほんの少しの違いなら同意してその場をうまく治めた方が早く解決する場合があります。しかし、同意していない10%が積み重なり、後に「そんなはずじゃなかったのに」ということも起こりかねます。

この10%というのは、相手のために妥協したつもりでも、結局は誤解を生む原因にもなりかねません。そして、その妥協により自分自身を縛り付け、苦しめたりするのです。しかし、1つ1つ確実に確認しながら進むのも、機械的で心が入っていませんし、難しいところだと思います。

人は何が一番強いかと言えば、感動から生まれる衝動によって行動するのが、結果がどうであれ後悔しないと思います。自分の心=魂の叫びがその人そのものの声だと思います。その本当の声をオブラートで包み、相手の機嫌を損なわないようにするので、本当の叫びが伝わらないのだと思います。

優しさが他人の意図を受け入れてしまうのです。相手を傷付けないようにと従ってしまうのです。しかし、それが本当に相手に対して誠実なのかどうか。それで最後までうまくいけばそれに越したことはないですが、反対に、うまくいかせるために、相手の意図に乗り続けなければならなくなるのです。

そうこうしているうちに、自分の本当の心=魂の声を忘れてしまって流されてしまうのです。そこで自分の心の声を正直に伝えると相手とぶつかる可能性もあります。しかし、一時のぶつかり合いと、終生にわたって自分を正直に出せない不自由さを比べてみれば、どちらを選ぶかということになるのではないかと思います。

人はありのままに生きるというのが、一番自然で自由だと思います。心=魂を開放して、思うがままに自分の考えを伝え、自分の目的に向かって進んでいく。そこには自分の心の自由はあるけれど、当然責任もあります。しかし、その責任は本質的な幸せに繋がる責任だと思います。

私たちの毎日は何らかの選択の毎日です。小さなことから大きなことまで、絶えず選択をしながら自分の道を歩んでいます。やりたい想いを選択するのは当然ですが、やりたくないという想いの選択も、時には選ぶべきだと思います。その両方の選択権が自分にはあるのだということを、忘れてはならないと思います。

「やる自由とやらない自由」この2つの力をもすべて自分の中にあるということを、忘れてはならないと思います。自分の心=魂の解放が、自分にとっての一番の幸せであり、他人の意図から卒業した本来の自分の姿だと思います。

じゃ、また明日!

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jibunoikiru@gmail.com

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