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不平・不満、責任転嫁はよくある話です。
人はその解決の答えを相手に求めてしまいます。
しかし、よく良く考えると、問題だと思っていたその見方こそが問題の場合もあります。
例えば、上司が部下に対して「あいつは言われた事しかやらない。もっと気が利かないものか」と嘆いてたとします。
もしかしたら、その部下は以前「こうしたら良いのではないかと思います」と言った時、その上司は「誰が意見を言えと言った! 言われた事を素直にやればいい!」とその言葉を投げかけた事は無かったでしょうか。
そうなると部下は「何も言わない方が怒られなくて済むから、黙っておこう」となったかも知れません。
或いは部下が「ウチの上司は上ばかり見ている。現場の事がちっともわかっていない」と、同僚と嘆いてばかりいたとします。
この部下は一度でも上司に現場の状況を説明をしたことがあるのでしょうか?
問題はいつも相手に向かってであり、解決も相手が自分の思うようになる事だと思い込んでいます。
しかし、本当にそれで解決するのでしょうか。
この例えでいうと、上司が部下に対して「君の意見はどうかね?」と毎回聞いていくと、指示しなくても裏付けと共に改善策を提案する可能性もあります。
また「上司が現場をわかっていない」と嘆いていた部下は、上司に対して「現場は今、こういう状態になっていて大変です」と報告すると、上司も気が付いて、現場把握に力を入れるようになるかも知れません。
これらは、問題は自分以外にあると思っているからで、もしかしたら、問題は自分の捉え方、見方であったのかも知れません。
「7つの習慣」に「問題の見方こそが問題である」と、書かれていたと思いますが、まさにその通りで、問題の捉え方によって、解決の方向が全然違ってくるし、その結果もまた違ってきます。
一番の問題は、自分自身だったのかも知れません。
じゃ、また!