人は「価値」と言えば、何かと交換する基準のようなものと考えがちですが、そうとは限らないようです。
一番わかりやすいのがお金で、交換する手段として使われていました。
アインシュタインは「人の価値とは、その人が得たものではなく、その人が与えたもので測られる」と言ったようで、これからまさしくそちらの方向に行くように思います。
今までは何に於いても価値はお金と交換され、それでそのものの価値を決められていました。
しかし、本来はそういう交換物ではなく、人に与えたものであったり、命の向きであったりすると思います。
自分の時間をどこへ差し出すのか、自分の力をどこに流すのか、それ自体が価値なのです。
時間や場所に束縛され、その対価としてお金を受け取る「価値」とは、少し違ってくると思います。
自分がやっている仕事の価値がわからず、言われるがままにこなしていく価値と、夜明け前から仕込んで、早朝から店を開けるパン屋さん。利益は薄くても、「美味しい」と言って喜んでくれる顔を見るだけで、楽しく毎日働いています。
誰に頼まれた訳でもないのに、自分の住んでいる町内のごみを早朝から拾い集めているおじいさん。勿論、街をきれいにしておきたいからやっているだけです。彼らは、その町の人々が喜んでいる姿を見るのがしあわせなのです。
だから「やりたいからやっている」のです。
お金になるからとか、評価されるからとか、点数が稼げるからとかではなく、「自分が自分でいられる」からそれをやっているのだと思います。
歌の好きな人は歌手を目指すでしょうし、料理の好きな人は料理人にならなくても、美味しい料理を作って人を喜ばせ、自分が一番しあわせを感じているかも知れません。
私は「お金のない国」という本が好きで、もしかしたら、お金というものがなかった時代の感覚が好きなのかも知れません。
「私はこれができます」「私はこれをやる人間です」と、それぞれが自分のやりたい事、出来る事を宣言する。するとそこには人が集まり、助け合いが生まれる。義務でも契約でもない「命の方向が同じ者」同士が自然と関わり合ってくる。
対価はその中で生きているという実感のみです。数字に追いかけられることもなく、「自分を生る」という実感で人生を過ごすのです。
よって「対価とは 交換率ではなく 存在の濃度である」といわれるのです。
じゃ、また明日!