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6月18日は母の命日でした。もう亡くなって17年が経ちます。
母とは仲が良かったので、亡くなった瞬間、私の中に入り込んで来た
感覚がありました。

よって、闘病生活が長かったせいもあるのか、全くと言ってよいほど
寂しくはありませんでした。

反対に亡くなってからの方が、いつでもどこでも自分の中で対話ができるので、
その方が幸せでした。

5年位経つと24時間自分の為だけの生活に慣れ、母から離れていきました。

今日、お墓参りをしていてふと思ったのです。
今まではご先祖さま、特に両親には、こちら=現在世の報告をしていました。
そして最後に「見守って下さい」とお願いをしていました。

しかし、現世の報告やお願いばかりでは一方通行のような気がしてきました。

私で最後となるこのお墓、ご先祖さまは命のバトンに何を託していたのだろうと、
ふと思ってしまいました。

私の両親は「自分が生きたいように生きれば良い」という考え方だったので、
このお墓も私で最後になるのは覚悟をしていたし何も言いませんでした。

それならそれで、今まで何も考えたことが無かったけれど、
脈々と受け継がれてきた命のバトンに何が託されていたのか、
考えてみる必要があるかなと思った次第です。

もしかしたら、それが私のなすべきこと、自分の果たすべき使命なのかなと。
そしてそれが私の生まれてきた理由、生きる理由なのかなと。

そう思えば、小さな小さな町工場で鉄工所をしていた父が、
近所の保護司の方に頼まれて、少年院から出て来た少年を雇って
手に職を付けさせようとしていました。

そのせいか、家には人を助ける優しいヤクザのお兄さんのマンガ本がありました。
小学校低学年の私はその本が好きで、何度も何度も読み返していました。
学校という所で働いていたせいか、少年更生に興味があったのも、
もしかしたら、そのマンガ本が始まりだったのかもしれません。
父は仕事しか頭にない人で、子どもには何も言わない人でしたが、
もしかしたら父も少年更生に何かを感じて引き受けていたのかも知れません。
そう思うと無言の中には「人の役に立つ事」「その人が少しでも喜びを感じる事」
提供する事が、引き継いで欲しかった事なのかなとも思いました。

そして母はいつも近所の人の愚痴の聞き役でした。
お嫁さんが泣きながら「ウチの姑さんが・・・」と言って散々愚痴って帰ると
入れ替わりにお姑さんが「ちょっと聞いて、ウチの嫁が・・・」と
同じ場面の事をそれぞれ自分の立場から話しているのです。

それに相槌を打ってどちらにも共感するような母を見て、私はいつも
八方美人だと非難していました。

しかし、今となってはそれが一番良い方法だと思うようになりました。
八方美人だと非難していたことが、しいてはそれが傾聴に当たるのだと思います。

結局は両親のそれぞれの部分を引き継いでいる自分を確認したような、
そんな今日のお墓参りでした。

じゃ、また明日!


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