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私は通販を利用するので、段ボールが直ぐに溜まってしまいます。
直ぐに片付ければ良いものを、何かをしている時には後で片付けようと、
そのままの状態で部屋を出るので、猫の秘密基地になってしまいます。
自分のそういう状態を棚に上げて感じるのは、商店街でもお店によっては、
これでもかと言わんばかりに、店舗の外まではみ出して商品を置いているお店です。
それを見ただけでも、自分の店さえ良ければルールを守らなくても良いのかと、
そのお店の姿勢を疑ってしまいます。
よって通行人は、そのお店の前だけは商店街の真ん中寄りに歩かなければなりません。
他のお店も出せるものなら店から広げて前に出して目立たせたいと思います。
しかし、そこは商店街全体のルールを守り、歩行の邪魔にならにように我慢していると
思います。
残念ながらごちゃごちゃと置きすぎると、どれが良いのか、どれがそこの売りものか
分からなくなります。
結果、奥まで入って商品を見る気が失せてしまうのです。
片やスッキリと片付いたお店は、外から見ても自分の好みが目に入りやすいです。
目に入るから、お店の中まで入って見てみようかなと思います。
ファッションでは「マイナスの美」というのがあります。
確かにアクセサリーやお化粧で美しく見せる事もあるし、ほとんどが
「プラスの美」で競っています。
そんな中、ショートヘア―でイヤリングもネックレスもなしに、
シンプルな黒のドレスの人がいれば「マイナスの美」として、目に映ります。
日本にも「侘び寂び」の世界があります。
「侘び」とはつつましく、質素なものにこそ趣きがあると感じる心のこと。
「寂び」とは時間の経過によって表れる美しさを指します。
この世のものは時が経つにつれ汚れたり、欠けたりして変化しますが、
それを劣化と否定的に捉えず、変化が織りなす多様な美しさを「寂び」と呼び、
肯定するのです。
質素だから先のシンプルな黒ドレスの人ではないけれど、
「こんなイヤリングをつければ良いかもしれない」
「こんなネックレスが似合うかも」と、
見る側の想像をかき立ててくれるのです。
「何もない」からこそ、そこには無限の可能性があるのだと思います。
私たちの脳も日々の囚われでパンパンになってしまいます。
よって「侘び錆び」の美しさや、それを感じる余裕もありません。
だからこそ、想念や雑念でパンパンになった脳を一度リセットする必要があるのです。
リセットして何もない状態にしたとき、新たな何かを入れることが出来るのです。
新たな何かに気付くことが出来るのです。
瞑想はパンパンになった脳をリセットしてくれる、良い時間をもたらしてくれています。
じゃ、また明日!