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アドラー心理学の「目的論」。
「原因論」であった私は、正確に理解するにはまだまだ時間が掛かりそうです。
今日、1つ腑に落ちたのは「他者との関係の中で傷つかないこと」が、私の目的であったのだなということです。
「嫌われる勇気」の中では、赤面症の女子学生が「赤面症という症状を必要としている」から赤面症は治らない、とありました。
彼女は気持ちを打ち明けていない男性がいて、赤面症が治ったら、その彼に告白してお付き合いをしたいと思っていました。
ところが「私が彼とお付き合い出来ないのは、この赤面症があるから」で「もしも赤面症が治ったら私だって・・・」と、可能性の中に生きる事を選んでいたのです。
本当の所は、彼に振られて自分の存在や、可能性を全て否定されるのが怖かったのです。
「可能性の中に生きる」ということは、それは全て自分への言い訳であり、事態は何1つ変わりません。
対人関係に踏み出さない人間になっていれば、誰とも関わらずにすむし、例え他者から拒絶されても「私は○○だから拒否されている」と、その理由付けができるのです。
私自身、昔の診断で自律神経失調症や広場症候群で、乗り物に乗りたくなかったのです。
通学や通勤の10分は何とか我慢できるけれど、長距離の遠足や出張となると安定剤を飲んでいました。
今考えると、母親が入退院を繰り返していたので、家を留守にした時にもしも具合が悪くなれば・・・・。と、乗り物に乗りたくない目的があったのだと思います。
そしてそれは、他者との関係で、傷つかないように避けられる出張なら避けたいと思っていたのだと思います。
確かに私は争いごとが嫌いなので、争う前に譲ってしまうか、我慢する方を選んでいました。
それは、その都度「嫌われない」方を選んでいたのかも知れません。
しかし、今となっては「嫌われる勇気」を持った方が、強いマインドで生きられたかなと思っています。
じゃ、また!