タグ:
一見何の問題もないのに、ふとした瞬間に虚しさを感じる時があります。
私は28歳から29歳の1年間がそうでした。
特段これと言った問題もないのに、何をやっても虚しく感じていました。
カラダはそこにあるのに、心がどこか遠くへ行ってしまっている感じです。
その都度感じていたのは、自分は根無し草のようでただ浮いているだけ。
地に足が付いていない自分がもどかしかったように思います。
その時学んだことは「落ちるだけ落ちたら後は上がるしかない」という事です。
よって虚しさに抵抗せず、思いっきり悲しい曲ばかり聞いて、
よりいっそう自分を虚しさの沼に突き落としていました。
すると、あれだけ地に足が付いていないと思っていた自分の足が谷底に辿り着いたのです。
不思議なもので、谷底でもどこでも兎に角足が地に着いたということで、
後は上がるしかないという感覚になりました。
ボールを地面に強く叩きつければ叩きつけるほど、高く跳ね返るのと同じです。
それ以降、私の中からは「虚しさ」という言葉は消えてしまいました。
その虚しさというのは、自分が心揺さぶられるものが何もなく、
自分が惹きつけれれる「もの」や「こと」や
「生き方」を見つけることが出来なかったのです。
「精神的に失うものがない」代わりに「精神的に得るものもない」状態だったと思います。
心の状態は「無気力」であったり「得体の知れない不安」を感じたり。
また「自分には価値があるのだろうか」と思ったり、
何をやっても「満足感を得られなかった」のです。
そんな時、歌手のさだまさしさんの「生々流転」という歌が流れ、
私の気持ちと全く同じ人がいたと、何回も何回も聞いていました。
この曲は「長江」というドキュメンタリー映画の主題歌です。
素人のさだまさしさんがドキュメンタリー映画を作るという事で最初は1億円の
借金の予定が、撮影が難航したりで借金の利子が利子を生んでいき、
最終的には35億円の借金になりました。
28歳で借りた1億円が最終的には35億円になり、60歳の還暦でやっと返せたとか。
1年350日ほどコンサートをやり続け、本も出版し、自分の持っていた「夢の島」を
売却しての返済だったようです。
私が虚しさを感じていた時を同じくして、夢を追いかけての虚しさを感じていた
さだまさしさんの歌は、どれも私の心に響くものがありました。
♪ ああ 当たり前に生きたい ささやかでいいから
ああ 前のめりに生きたい ひたすら生きてゆきたい ♫
何十年も前の歌なのに、今もこの気持ちが変わっていないのは、
私は全く成長していないという事なのでしょうか。
じゃ、また明日!