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人は何のために学ぶのかと問われれば「望む自分になる為」と、応えるでしょう。
それともう1つ「より自由な自分になる為」
「望む自分」というのは、自己実現だと思います。
私はつい最近まで、自己実現は自分のやりたいように生きる。
好きなように生きる。と、思っていました。
しかし、そのレベルではなかったようです。
「このやりたいこと」には社会貢献が含まれていたのです。
自分だけのやりたいことではなく、
自分のやりたいことが社会貢献に繋がっていることです。
結局は、やりたいことが自分の為だけではなく人のためになっているのです。
確かに自分の為にやり自分が満足してしまえば、それは自己満足に過ぎません。
人さまの役に立つからこそ、意味があり拡がりがあるのです。
そして、人さまの役に立つ自分になるためには、
先ず自分自身が開放されている必要があると思うのです。
何かに囚われていたり、怯えている時は自分が自由に開放されている。とは言えません。
この自由は、知らず知らずのうちに自分の中に宿している、他者の価値判断からの自由です。
私たちは自分を知ったつもりでも、なかなか今までの価値観を手放すことができません。
その、手放すことが難しい過去の価値観を手放した時、
何者にも束縛されない、純粋な自分の価値観になると思います。
その時点で、自由な意識、自分の価値観で判断する時が、
望む自分になる時だと思います。
もしかしたら自己実現は自己の開放かも知れません。
無意識に自分で蓋をしていた部分の蓋を取り、
何の恐れも、束縛もなしに自分のやりたいことをやる。
それが「私が望む私になる」という事ではないでしょうか。
我々は、生まれ落ちた時から何らかの意味を持って産まれてきていると思います。
もしかしたら自分の人生の中で、その意味を少しづつ紐解きながら
生きているのかも知れません。
そうであるならば、もっと自分と向き合い、望む自分になるよう、
実行していくことが、自分を生きていることだと思います。
じゃ、また明日!