タグ:
依存心の強い人がいます。私も非常に依存心が強いです。
しかし、最近は人に依存している限り、自分を生きていないなと思うようになりました。
私は本来、集団が苦手で孤独が好きでした。
よって、友達も自分からは積極的に作ろうとはしていませんでした。
最近、ふと自分の心の奥底を覗いたら、もしかしたらごくごく小さい時に、
寂しかったのかなと思い始めました。
その裏返しが孤独が好きだという事になったのかも知れません。
本当は寂しかったから自分を見て欲しい、寂しいから自分に眼を向けて欲しい。
それが言えなかったけれど、本心だったのかも知れません。
他人への依存は、自分で決定しなければならない事も他人に委ねてしまいます。
自分で決定しなければならない時は、自分で責任をもって決定する必要があるのです。
自分を生きるという事は、自分の人生を自分でコントロールする必要があるのです。
依存する相手は自分が嫌な人には依存しません。
やはり自分が頼れる人、尊敬できる人に依存したくなります。
しかし、相手に依存したからと言って、相手を幸せにすることは出来ません。
むしろ、相手のお荷物になる可能性の方が大きいです。
相手の事を気遣ったはずが、結果的に相手に負担を掛けたり、苦しめたりすることもあります。
依存はあまり意味の無い事だったようです。
よって、依存するという事は、自分にとっても相手にとっても良いことはないのです。
それよりも自分が早く自立して、自立した者同士としての関係を結ぶ方が、
お互い、より良い関係が結ばれると思います。
その為には自分を認め、小さな成功体験を積み重ねて自信を付けていくことだと思います。
先ず、自分の決めた事は最後までやり遂げる習慣を身に付ける事。
自分に自信が付いてくれば、他人への依存や関心は少なくなると思います。
そして常に自分に眼を向ける癖をつける事だと思います。
今は、自分より他人に眼を向けてしまいます。
ちょっとした言葉に引っ掛かったり、何か上手くいかなければ、他人に眼を向けて
相手のせいにしてしまいます。
相手のせいにすると言うことは、自分の責任逃れです。
自分の責任逃れは、つまり相手への依存状態です。
もしかしたら、引っ掛かった言葉の源は自分がきっかけだったかも知れません。
上手くいかないのは、自分がやるべきことをやっていなかったからかも知れません。
全ては自分が蒔いた種だったかも知れません。
そう思うと、何があっても自分が主体であれば、他人の言動に左右されないし、
その原因が自分であれば改善することもできます。
依存脱却を考え始めると、これも依存だった。あれも依存だった。と、
今まで気が付かなかった依存が沢山見えてきました。
沢山ある自分の中の依存を1つ1つピンセットで摘まみ出し、
自立への第一歩に向かわないと、人生勿体ないよね!と、思い始めました。
じゃ、また明日!


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

投稿者

jibunoikiru@gmail.com

関連投稿

タグ:

2447枚目■ 「ない」の裏に「ある」

「ない」から「ある」という変な現象ですが、こ...

すべて読む
タグ:

2338枚目■ 人生のピークは末広がりで

「人は何のために産まれてきたか」という問いは...

すべて読む
タグ:

2280枚目■ 行動と言葉を一致させる

「言行一致」とよく言います。口で言っている事...

すべて読む

2274枚目■ 「無理」「ならどうする」

何かをやろうとする時、或いはやりたいと思う時...

すべて読む
タグ:

2235枚目■ 何を捨て何を残すか

私は昔から「マイナスの美」の美しさが好きでし...

すべて読む
タグ:

2233枚目■ 自分が自分をどう思うか 

私たちは人目を気にして生きている場合がありま...

すべて読む