私は毎日、古代ヴェーダンタから伝わるヴェーダ瞑想をしていますが、
最近千手観音像がスッと浮かんでくる時があります。
お墓参りには頻繁に行きますが、とりわけ神社仏閣には興味があるとは言えない程度です。
なのに、なぜ千手観音像が?と思いました。
千手観音とは?(仏像ワールドより)
別名 千手千眼観自在菩薩(せんじゅせんげんかんじざいぼさつ)とも言い、
生きとし生けるものすべてを漏らさず救う、大いなる慈悲を表現する菩薩です。
千の手と手のひらの千の眼によって悩み苦しむ衆生を見つけては手を差し伸べる
広大無限な功徳と慈悲から「大悲観音」または観音の王を意味する「蓮華王」とも称されます。
阿修羅や金剛力士などが属する二十八部衆を配下とします。
観音の中でも功徳が大きく、観音の中の王という意味で「蓮華王」と呼ばれる事もあります。
阿修羅や金剛力士などの二十八部衆を配下にしています。
また六観音の1つに数えられる餓鬼道に迷う人々を救うと言われています。
十一面四十二臂(ひ)で表されることが多く、四十二本の手のうち四十本それぞれが
「オン・バザラ・タラマ・キリク」
という事でした。
人は老後、旅行に行ったり、食べ歩きをしたり、自分の趣味に生きたりする人と、
何か自分が出来る事で人の役に立ちたいと、自分の可能性で世の中にお返しをする人とに
分かれます。
どちらが良いとか悪いとかではなく、どちらかの生き方を自分が選んでいるのです。
そんな中、千手観音像がチラチラ出てくるという事は、大いなる慈悲の心で、
心を持つすべての存在に手を差し伸べよ!と、言われているのかなと思いました。
以前の老後のイメージは、第二の人生とかで、のんびりゆっくり余生を送るという
イメージでしたが、人生100年時代になってからは、何かで自分を活かさなければ、
時間の帳尻が合わなくなると思います。
今まであまりご縁の無かった千手観音さまですが、瞑想中に浮かんできた意味を考えて
自分の生き方と照らし合わせていきたいなと思います。
ちなみに私が感動した「千手観音」はこれでした。