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「刺激と反応」というのがあります。
以前、私は何か刺激があると、瞬時に反応していました。
その反応は、感情の反応です。
自分が思っていた事と違ったことを言われたり、自分の考えと違うことを言われると、
即座に反論をしていました。
しかし、それは相手の言っていることをよく理解し、考えての反論ではありません。
自分が間違った反応をする時もあります。
自分に主体性があれば、相手の言っていることをじっくり考え、
その上で反論するなり説得するなりの手段を取ると思います。
感情で返しても、問題は解決しません。
感情で反応すれば、本来の目的を忘れて脇道に逸れてしまいます。
その問題を考え抜き、解決策を見い出して実行に移すしかありません。
人間関係でも、世の中と言われる社会でも、逐一刺激を与えてきます。
そういう人たちに、1つ1つ説明する暇もなければ、説明する気も起りません。
しかし、そこをくぐり抜けないと、先には進めないようです。
その時、人間として「自分の人生に対する責任を取る」という事が必要になってくるのです。
それは主体的に生きている人しか出来ないことです。
私のように反応的に生きている人間は、その刺激に影響されてしまいます。
いくら自分と違った意見でも、その人はそういう捉え方をしているのだと受け入れるしかありません。
ただし、
受け容れる=認める ということではありません。
相手の言うことは「そうですね。その通りですね」と、受け入れれば良いのです。
だからと言って、言われる通りにするのでもありません。
受け入れた上で、それを自分としてどうしていくのか。
人間として自分の人生に対する責任を取るということは、
だから自分はそれをどう改善していくのかという部分だと思います。
この時、主体的な人は自分の価値観に基づいて行動できると思います。
だからこそ、厳しい、痛い経験がその人の人格をより一層高めるのです。
今自分が「受け入れていること」と「認めていないこと」。
これを自分の中でしっかり区別し、整理する必要があるようです。
じゃ、また明日!