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「天の蔵に徳を積む」は、私の知らなかった言葉です。
今では少なくなったと思いますが、帰り間際に仕事を頼まれたり、こちらの都合も考えずに何か頼まれたり。
それが上司であれば断ることもできず、何とか頼まれごとをこなそうとします。
そして一生懸命作った資料が、翌日不要になったりした時、誰でもイライラします。
そういうことでも、また頼まれた時には笑顔でやれば、自分の「貯金」となる、という話です。
それをイヤイヤやったり、ふてくされてやったり、イライラしながらやったりした時は、決して「貯金」にはならない。
何故なら、ふてくされてやれば、その態度で頼んだ方は何も感じなくなるからです。
よって、そのような「貯金」のできる頼まれごとのチャンスを与えてくださり、有がとうございます。
というような考え方に変われば、イライラしなくて済む。ということです。
嫌な顔をせず、ニコニコやっていれば、頼んだ人の心に「借り」が出来ます。
例えば上記の上司のように「貸し借り」を作る状況を、その上司が与えてくれたという見方をすれば、それは非常に感謝すべきものになる。という捉え方です。
「貸し借り」と大きく捉えなくても、仮にご近所さんとの間で何か小さな役に立つことをしていれば、困った時には逆に助けられるということがあります。
そうなれば「お互い様」ということで、助け合いが自然と生まれてきます。
見返りを求めたり、与えたことを後悔するのなら、それは「徳」とはならない。
与えることが出来た自分に感謝をしよう。
というのが、
「天の蔵に徳を積む」ということでした。
「徳」というのは、自分の人間力を試されるようなものだと思います。
怒りたいようなことを言われたり、されても、にっこりできる。
上手くいかなくて、自暴自棄になりそうな時でも、にっこり対処できる。
嫌な相手に出会っても、にっこり挨拶ができる。
誹謗中傷されても、やり返さずに、にっこり対処できる。
理不尽な扱いを受けた時でも、それを問題とせず、にっこりとしていられる。
私は「天の蔵に徳を積む」には、全く修行が足らないと感じた次第です。
じゃ、また明日!