昔から「寄らば大樹の陰」という言葉があります。小木よりも大木の下の方が安全で快適であるというように、力のある人や巨大な組織に頼った方が安心で得だという教えです。よって少し前までの価値観は、いい大学に行っていい会社に入れば安泰だと思われていました。
しかし最近はそうとも限らず、小さくても自分で自由に出来る会社の方が良いという人も増えてきました。
にも拘わらず、多数派に就くことで、安心や利益を得ようとする人も多くいます。
これが悪い面で出ているのが誹謗中傷組です。自分1人では何もできない何も言えないのに、誰かが誹謗中傷すれば、それに乗っかって同じように言ってしまう。
こういう便乗型は学校でも会社でも社会の中でも、よく見かけられます。そしてそれらの人の内心は「何かわからんけど、みんなやってるから」「よう知らんけど、同じようにしとく方がいいから」で、付いて行っているだけです。
明確な理由を自分の言葉で説明できないのです。自分で考えることなく何かわからない不安や、自分で判断する自信のなさ、自分で引き受ける覚悟のなさ。これらがその人をつくっているのだと思います。
安心、安全を求め、みんなと同じ行動を取る。「自分が動かなくても、誰かがやってくれるだろう」「自分が引き受けなくても、誰かが用意してくれるだろう」と、いつも待つ側にいるのです。
誰かが乗り物を作り、自分はいつもそこに乗せてもらう側。よって、乗り物の作り方も操縦の仕方も全く分からないのです。
自分達で考えるのも邪魔くさい。作るのもめんどくさい。失敗して傷つくのは嫌だ。だから「やらない、引き受けない」という生き方が身に付いてしまうのです。自信のなさや失敗の不安が行動することを止めてしまっているのです。その前提には、失敗はやってはいけないことという価値観に縛られているからだと思います。
本来、失敗をするから成功に近づくのであって、失敗をしなければ成功には近づけないのです。失敗を恐れる考えが、自分で自分の可能性を潰していると思います。
今、冬季オリンピックの真っ最中ですが、子どもの頃テレビでオリンピックを見て、自分もオリンピックに出たいと思い、現役選手として参加している人もいます。それは自分の能力を自分で開花させた人だと思います。
方や、自分もそうなりたいけれど、自分にはムリ!あの人だからやれたんだ!あの人は特別だから!ということで、自分で自分の夢の舞台から遠ざけてしまうのです。
自分を生きるということは、自分で自らの役割を引き受けること。いつも誰かの舞台を観ている観客なのか、不格好でも自分で舞台に立つ当事者なのか。いつまでも傍観者のままで、自分を引き受けないままで一生を終えることが自分の夢だったのか。与えられるのを待つだけではいつまで経っても自分は変わらないと思います。
自分の夢は、一生「観客席」で座っていたかったのか。
自分に対する問だと思います。
じゃ、また明日!