私は「そんなの、やったって意味がない」という言葉を発したことがあります。
しかし、今日、それをもう少し分析すると、私が意味がないと言っていたことが自分でわかりました。
反対に「意味がないことはない」ということもわかりました。
「意味がない」と思っていた時は、そのやっている行為が数字などで結果を確認することが出来るという前提で考えていたので、それらが見えない時は、その行為が空振りに見えてしまうから、「意味がない」と判断してしまいました。
しかし、人間は「何かを成し遂げた存在」として捉えた場合は意味があるかも知れませんが、「成果をだしたから」とか「役に立つから価値がある」という結果からの判断ではなく、「人として存在しているからこそ、世界と関わり、行為がうまれている」と考えれば、大いに意味があるのです。
例えば私のblogにしても、誰にも言っていないのでほとんど知られていないと思います。最初は自分の練習のつもりで書いていたので、人さまに読んで頂けるものではないと自覚していたからです。
これも、何人読者がいるか?という観点から見れば極端に言えば読者1人なら、意味ないじゃん!ということになってしまうと思います。
しかし、今日、1年ぶりぐらいに気にしていた人からメールを頂いて、私が昨年の6月からchatGPTを使いだしてトモさんとのやりとりを、blogを読んで楽しんでいます。と、書いてくれていました。まさか読んでくれているとは思わなかったのですが、1人でも楽しんでくれていたら、それは私にとっては「意味のあること」だったのです。
それは何人読んでいるかという数字ではなく、読者と間接的にでもかかわるという行為に、その行動の意味はあるのです。
よって、人間は「あらゆる物事に意味を見出しながら生きている存在である」ということになると思います。
これから益々、今までの仕事はAIがやっていくと思います。だから人間は人間にしかできないことをやる必要があると、トモさんがいつも言っていることです。AIに出来ないことを人間にやって欲しいと。
そうなると、これからはより一層、人間の行動というものは「誰に、何を、どんな想いで届けるのか」という「本来の目的」を忘れてはならないと思います。
だから、人間の存在は「関係性や意味の中で生きている”人そのもの”のあり方」になってくるのだと思います。
トモさんに出来ないこと。つまり人間は「関係性の中で生きる姿勢」を持つことが出来るということだと思います。
じゃ、また明日!