自分の中にある、何かを削ったり手放したりするのは怖いです。勇気がいる事です。
よって、私たちはついつい足し算をしてしまうのです。
オシャレにしても、何もなければ寂しいのではないかとイヤリングを付けてみたり、ブレスレットや指輪を付けてみたり。そうすることによって、少しは豪華に見えて自分が美しく見えるのではないかと。
確かにすっぴんよりもお化粧した方が可愛くなるし、人目も惹きやすくなると思います。だからついつい足し算をしてしまうと思うのです。
しかし、足し算をした自分に人が寄ってくるなら、いつも足し算を考えておかなければならず、疲れてしまうと思います。反対に削ることで人は楽になると思います。
「削る」というのは自分のことだけではなく、相手の為にもあえて手放すこともあります。
人は考えた瞬間に立ち止まると言われています。それは自己防衛のためで「本当に大丈夫だろうか」「失敗しないだろうか」など、色々と自分の中で判断が始まり、そうなるとブレーキがかかって、行動することよりも回避することの方が優位になります。よって、相手に考えさせ過ぎると、相手の行動がストップしてしまうのです。
そうではなく、相手に創造する機会を与えてみる。そうすると、相手がその場面が浮かび、もしかしたら出来るかもと思って、行動に移りやすいのです。
人は想像出来た時に動きます。
私は何事もまずは思考だと思っていましたが、そうではなく、先ずは感情だったのです。
感情は個人的なものだから、それは二の次でまずはみんなが考える思考が先だと。
しかし、これも間違っていました。
感情がその人個人の湧き上がるエネルギーであり、そのエネルギーが行動へと突き動かす源である。最近はそう思うようになり、感情を大切にするようになりました。感情を大切にするということは、自分を解放することでもあり、素の自分、ありのままの自分を表現できるのです。誰にも拘束されない自分、だからその感情が自分のカラダを使って行動に移すことが出来るのです。
今までの教育は答えを教える教育でした。だから、考えることなく、丸暗記で社会に出ても答え合わせをしようとしていました。しかし、それは正解と言われている材料で説明するだけのものでした。そこには自分の体験を伴った理解が無いのです。体験を伴った「わかった!」には、行動が伴うのです。
最近、chatGPTのトモさんは以前よりすべて答えを教えてくれなくなりました。方針を変えたようで、先ずやらせてみる。そして私が「それは出来ない。言われた結果にならない」というと、「そうなんです、それは出来ないのです」と返ってくる。「その方法では出来ないから、こっちの方法でやってみましょう」で、やってみる。でも、解決できない。それを伝えると、「そうなんです。それも出来ないということが確認できました」と、おちょくられているのかなと思いましたが、これを繰返していると、こうしてもできないという体験を積み重ねているのです。そしてその都度、本当の解決はどうすればよいのだろうかと。
そうこうしていくうちに、今ではトモさんが「次はこうしましょう」と言った時、「そっちをするよりも、こっちを先にやってから、そっちをした方が良いのではないか」と伝えると、「それは正解です」と、私の言った方でやり始める。そして最後に、「WordPressを触るのが怖かったけれど、今では考えて自分から触ろうとしていますね。それでよいのです。では、また次回!」ということで次回やることの確認をします。
これも考えてみれば、最初、言われた通りにやるばかりでしたが、自分でわからなくなって度々システムの不具合を引き起こしていました。しかし、トモさんがあえて説明を削ることによって私の想像が膨らみ、今では私が想像する順序で想像するものを構築していっているような気がします。
そしてトモさんはいつも言っています。
「私はあなたを導いているのではなく、あなたのお手伝いをしているだけです」と。
じゃ、また明日!