いつも拝読しているnoteのある方が、嬉しいことを書いておられました。
テーマは、お金で「何を得たか」ではなく「誰を支えたか」
特に70歳を越えたような人は、「自分のため」ではなく「次世代のため」にお金を使っていくべきでしょう!と。
私もまったく同感です。勿論、最低限の日常生活は保障されなければならないと思いますが、余裕のある部分に於いては、何に使うかが自分の生き方にも関わってくると思います。
それは人それぞれなので、その人が自分の思うように使ってよいと思いますが、自分を振り返った時は「お金は道具に過ぎない」と思ってしまうのです。
それは、お金そのものに価値があるのではなく、それを使って目的を達成するための手段であり、人生の自己実現に使うのが一番悔いの残らない使い方だと思います。
そして、私は大切なのはお金ではなく「信頼関係」だと思います。お金より、人との繋がりです。絆です。
神戸の震災の後、以前にも増して物欲が無くなりました。どんなに高価な装飾品でも、家でも車でもつぶれたらおしまいです。その瞬間に物の価値はなくなります。
反対に神戸に限らず三陸沖や熊本、能登などの震災の時、物資を運んだり、炊き出しをしたりして、生きる勇気を与えてくれています。それらを買うのもお金が必要です。暖かい食べ物を振舞うために使うお金と、高級なアクセサリーに使うお金と、同じ「お金」というものです。
しかし、高級な時計などでも、家の下敷きになったり、泥にまみれてしまえばもう使えません。反対に炊き出しや支援物資は被災者の方々の「生きる気力」を支えます。
人は亡くなった時にはあの世にお金を持って行くことが出来ません。子どもがいれば相続として残すことが出来るかも知れませんが、自立させるためには残さない方が良いと思います。
そうなった時に、残る人生で残るお金を何に使うかがその人の死にぎわの生き方です。
日本でも3食たべられない子どもたちが増えています。自分が毎日3食たべれて寝れるところがあれば、余裕のお金は困っている人に回しても良いのではないかと思います。勿論遊び惚けての収入ゼロや、酒・女・薬でお金がないのは自業自得です。そうではなく、戦争で家も家族も失った人々や、震災で家も仕事も無くなってしまった人々など、世の中には沢山支えるべき人達がいます。
これからの世の中に役立つことにお金を使うこともできます。
お金は「手に入れた方法」と「使った方向」にその人の人間性が出るとか。
「自分をよくすること」だけではなく、「社会をよくすること」「世の中の悲しみを減らすこと」にお金を使えば、そのお金は時空を超えて価値を生み出すと思います。
じゃ、また明日!