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私たちは生活する中で、「偶然に!」と思うことが時々起こります。そしてそれが頻繁に起こってくると、不思議な感覚になってきます。

「これは奇跡でしかない!」と、思うようなこともよくあります。
私の知り合いの方が外国に住んでいた時、元気に働いていたのに、しんどいからと病院に行ったら「余命1か月」の宣言をされました。

あちこちの病院を回ったけれど、どこの病院もどうすることもできないと、引き受けてくれませんでした。本人はどうせ死ぬなら日本で死にたいということで、ご家族は連れて帰ることにしました。
病人はドクター付きでないと飛行機に乗れない。日本の飛行機しか受け付けてくれない。搭乗時熱があると乗せてくれない。と色々な条件がありました。

本人もご家族もとにかく日本に帰るのに必死で、同乗してくれるドクターを探し、航空会社に頼み込むなど、あちこち駆けずりまわりました。
ようやく搭乗する段になると熱が・・・。必死になって氷を食べさせ、カラダが冷えてきたと思ったら冷えすぎて低体温に。慌てて熱いお茶を飲ませて、測定の時には合格のラインに。

日本に帰って来ても、やはり「もうどうしようもないから」と、どこの病院も受け付けてもらえませんでした。ご家族はありとあらゆるつてを頼って病院を探しましたが、県内外問わずどこも無理とのこと。
そんな時、地元の近くの病院に他の大学病院からたまたま来られていた先生が、どうなるかわからないけれど、引き受けましょうと言ってくださり、やっと入院することが出来ました。

最初は無菌室から始まり、ご家族も遠くからしか眺めることが出来ない状態でしたが、とにかく先生を信じて祈るしかありませんでした。そんな折、新薬が出来たということで治験の形で治療が始まりました。

最初は当然副作用でいろいろな症状が出ましたが、本人は前向きで明るい性格なのでその都度立ち直り「生きる意欲」しかありませんでした。病室では自分より症状の軽い患者さんを励まし「くよくよしても仕方がない」と、腹を括っていました。

3年ほどたった時、余命1か月と宣告した病院のドクターたちが、彼女がまだ生きていることに驚き、日本の医療のすばらしさに感動して病院スタッフを連れて、彼女の入院先に研修に来たそうです。
そして今年、1つの区切りである5年を過ぎたので、外国の余命宣告をした病院に元気な姿を見せに行きました。

元気だった彼女が突然の余命1か月宣言。そして今、国内外限らず旅行に行けている彼女を見ていると、偶然の力は凄いなと、思っていました。
しかし、1つ1つのことが偶然ではなく、次への導きだと捉えた時、点が線となって繋がっていくのです。

これは「偶然」ではなく「必然」なのだと。そして、「必然」だからこそ、人生の物語に『意味』が生まれるのだと。本人の「気(エネルギー)」が「生きている」という奇跡を呼び寄せているのだと。
自分が放った波動はそのままの自分に返ってくるのだと、彼女を見ていて思いました。

じゃ、また明日!

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jibunoikiru@gmail.com

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