人は何かが前に進まなかったり、同じ悩みが解決しなかったりしたとき、同じところをグルグル回っているような時があります。
自分でも気が付いて、そこから早く出たいのに、また同じ考えで同じことを繰返しています。
以前、アルベルト・アインシュタインの言葉で、
「いかなる問題も、それが発生したのと同じ次元で解決することはできない」という言葉を聞いたことがあります。その時は単なる言葉として受け取っていましたが、今、考えると「次元」って自分自身の考え方、捉え方ではないかと。自分のものの見方が変わるから、次元が変わるのではないかと思いました。
それは単に、自分の視点をどこに置くかによって、見えるものが違ってくるし、感じるものも違ってくる。そういうことだったのではないかと。
いつも自分はしあわせではなく、SNSでしあわせそうな人を見ては羨ましく思っていたけれど、もしかしたらそのSNSは、自分は今最高にしあわせです!と、アピールしたいだけで、本当は不安だったり、孤独を感じていたりする時もあります。
それを知れば、自分はSNSに載せることもないし、特別人さまにしあわせです!という必要もないので、むしろささやかなしあわせに囲まれているかもしれない。孤独を感じないし、好きな趣味もやっているので、それなりに充実しているかもしれない。
そう思った時、自分の中の「しあわせではない」という気持ちがなくなって、「自分って、意外としあわせなんだ!」と、思うかも知れません。
そう思った瞬間、問題が問題ではなくなるのです。
これがアインシュタインの「それが発生したのと同じ次元で解決することはできない」ということなのだと思います。
結局は、問題は目の前にあるのではなく、自分の心の中にあったのです。自分が受け取る「心の位置を変える」ことによって、しあわせそうに見えていたものが、しあわせそうに見えなくなり、自分のしあわせに目が向くようになるのです。これが「次元が変わる」というのかも知れません。
「自分」というものは、いつも自分の内側から発せられるものだと思います。他から言われて動く場合は自分ではないので、いつか壁にぶつかってしまいます。
自分の内側から考え始めると、先ほどの同じSNSでも違って見え、自分の立ち位置がはっきりとわかってくるのです。
自分に正直に、そして過ちは素直に認め、いらないものは手放していくと、かなりスッキリとした自分が現れると思います。それが次元が変わったということなのかも知れません。
羨ましく思っていたものが羨ましくなく、敵だと思っていた人が味方になり、出来ないと思ったいたことが出来るようになる。次元が変わると、今までの人生と違った風景の中で、人生が送れるのだと思います。
じゃ、また明日!