今、国民は物価高で生活がかなり厳しいです。私もスーパーでは3割引きや半額のシールを貼ったものを買っていましたが、今はそれすら取り合いで、いつも1つくらいしか見つかりません。今日も私の前に並んでいた小学生のお母さん位の方のかごの中には、シールを貼ったものばかりでした。
果物なども高くて買わなくなりました。最近は「自宅の柿の木で実ったものです」と柿はいただくことが出来ました。
政界では女性日本初の高石早苗総理の外交が始まったばかりです。
国会に限らず、県や市に於いても不祥事が頻繁にあります。
本来は国民が出来ないことを、国民が選んだ人たちが代わりに実行してくれるものだと思っていました。しかし、現実はパワハラがあったり、嘘の卒業証明書であったり、会議室替わりのラブホであったりと、市民・国民の代表の行動かと思うことが多々あります。
人々が暮らしやすいように司るのが、選挙で選ばれた人たちだったと思います。
投票率が悪いのも、「どうせ誰がなっても変わらないから」と、諦めの気持ちが浸透して行っているように思います。
しかし、国民には選挙に行って投票する義務があるのです。
国を変えるのは、政治家と国民、どちらか一方ではなく両者です。
民主主義国家に於いては、国民主権のもとで国民が選挙を通じて政治家を選び、政治家がその意志を反映して、政策を実行することで、国が変化していきます。と、AIが述べています。
歴史上でも国民が政治を動かした例というのはあったと思います。
1868年の明治維新では、幕末の混乱期に一部の武士や知識人だけではなく、世直しを求める農民や町人と言った庶民が、新しい時代を求める民衆のエネルギーとして維新の原動力の1つとなりました。
1910~1920年代の大正デモクラシーでは、一部の富裕な男性に限定されていた選挙権を、納税額に関係なく、すべての男性に拡大することを求める声が国民から高まり、1925年には満25歳以上のすべての男性に選挙権が与えられました。この時はまだ女性には選挙権がありませんでした。
1945年の第二次世界大戦後の民主化では、軍国主義から脱却した日本は、連合国軍総司令部(GHQ)の指導のもと、女性参政権が認められ、国民は新しい政治体制の構築に参画することになりました。
その後、1993年の非自民連立政権誕生では、金権政治やリクルート事件などの腐敗に対する国民の強い批判が政権交代という形で、政治を変える原動力になりました。
それからまた自民党政権になりましたが、2009年、年金問題や経済格差の拡大など、当時の政治に対する国民の不満が結集し、民主党への政権交代を実現させました。
そして今、自民党政権に戻っていたものの、自民党の派閥の政治資金問題や、長期政権への不満などに対し、国民が厳しい審判を下して、自民党が過半数割れになりました。
そしてそれ以外にも、草の根運動など、さまざまな市民運動が活発化されました。
しかし、お金の問題や、経済の問題など、昔からあまり変わっていないような気がします。
裕福な男性に限られていた選挙権が、納税額に関係なく男性や女性にも選挙権が与えられた今、国民の権利・義務として、選挙に行くべきだと思うし、不満をいうエネルギーは、自分達の内側から世界を変えていくエネルギーに変えていかなければ、いつまでたっても日本は良くならないと思います。
草の根運動が活発であった時代のように、政府に期待できないから、自分達で変えていく道を選ぶ時ではないかと思います。日本という国を創っているのは私たち国民一人一人です。
自分達の子供や孫が住みよい日本にするためにも、国民の1人として自覚し、覚悟した生き方をする必要があるのではないかと思いました。
じゃ、また明日!