「夢は叶う」とよく言われています。確かに夢は自分が生きているうちに叶えようと思えば叶えられるものです。例えば、お金持ちになったり、有名になったり、家族と幸せに暮らしたり。
しかし、「夢」と「志」は少し違うようです。
「志は貫く」もののようです。なぜなら、志は、自分がこの世にいなくなっても、後世に遺せるものです。それは各人の「生きざま」であり、方向性を示すものです。結果を求めるものではな「自分がどう生きるか」「どう歩むかの過程そのもの」で、その想いを後世の人が受け継いでいくのです。
幕末の思想家・吉田松陰は「志を立てて以って万事の源と為す」という言葉を残しています。
「心に決めて目標(志)を定めることが、あらゆる事柄(万事)の始まり(源)となる」と。
人は生きることも死ぬことも、自分の「志」(目標や信念)によって決まるもので、生涯にわたって志を貫くことが生きる事であり、それが達成できるなら、いつ死んでもかまわない。ということです。
今を生きている自分はこの世を去る時に、後世の人々に何を遺すことが出来るのか。
自分が成すべきこと、成し遂げなければいけないことは何なのか。それがその人の「志」というものだと思います。
それは決して「夢」ではなく、自分の命を燃やす方向のことです。
誰かの笑顔やしあわせのために、自分の力をどう使うか。それが「志を持つ」ということだと思います。
1人でも多く、誰かのために自分の経験や知識が役に立つなら、それだけで産まれてきた意味があるのです。
「志」を立てて生きる人は自分事から遠ざかっていきます。なぜなら、自分の志が実現したかどうかは、もうこの世にいない時なので自分の目では確かめることは出来ません。
先の吉田松陰は松下村塾の塾生であった伊藤博文が、初代兵庫県知事になり、初代内閣総理大臣に就任したことなど、知る由もありません。しかし、「志」は引き継がれていたと思います。
かつての日本人は、国民をどう守るのか、これから生まれてくる子孫にどんな国を遺すのか、それを真剣に考え、行動していたと思います。
先人たちの「想い」や「行動」を現在の私たちはどのくらい受け継いでいるのかと、ふと我に返った日でした。
自分には「志」があるのか?
もう一度問うてみたいと思います。
じゃ、また明日!