日本初の女性総理が誕生したせいか、それとは別に一般的なリーダーについて書かれている記事が目につきました。
リーダーと言えば小学校から「学級の長」がいました。そして班長もいます。中学・高校もクラス委員長がいました。今はどのように決めてどのように呼んでいるのかわかりませんが、以前はクラスの選挙で決めていました。
そして選ばれるのは、勉強やスポーツも出来て、常にみんなを引っ張って行ってくれる人でした。
そういう人は学年が変わってもリーダーに選ばれるようです。
しかし近年、そういうリーダーが先生から目をつけられ、自殺に追い込まれているのも事実です。
小学校からリーダーに選ばれ、常に正しく常にみんなを導かなければならないという重圧も、かなりのものだと思います。
本日たまたま、記事が発表されました。(朝日新聞web版)
東京工業高等専門学校(東京都八王子市)で3年生の男子学生(当時18)が5年前に自殺した問題があり、検証していた第三者調査委員会は5日、調査報告書を公表した。学生を指導した教員が、攻撃的な態度で必要以上の負担感や罪悪感を与えたことなどが自殺に影響したと指摘。「それだけ背負いきれない苦痛があったものと考えざるを得ない」と断じた。 亡くなった男子生徒は、学生会の会長を当時務めていた野村陽向(ひなた)さん。2020年10月5日午後1時ごろ、神奈川県内の自宅自室で亡くなっているのを父親の正行さん(55)が見つけた。自室には「私の中で負担となっているのは学生会」「精神的に様々な要因で追い詰められてた」などと書かれた遺書が残されていた。
これも本日偶然にある小学校の先生が書かれていました。
リーダーは「役職」ではなく、「瞬間」である、と。その子の「得意」が輝く「瞬間」に、誰もが担う「機能」であるので、「全員がリーダー」であってしかるべき。というものです。
全ての子どもに、リーダーになる「瞬間」が訪れ、自分の「得意」を誰かのために使う尊いリーダーシップ体験の場となる。誰もが「教える側」を経験でき、誰もが「教えられる側」を経験する。
この役割の流動的な逆転こそが、常に完璧でなければならないという重圧から解放され、他者から学ぶことの謙虚さと喜びを知り、自己肯定感を心に刻むのだ。と、この先生は言われています。
小学生と高校生のリーダーの在り方は違うと思いますが、リーダーシップを学べる学校という場に於いて、教員が攻撃的な態度で必要以上の負担感や罪悪感を生徒に与えるというのは、教育という分野からはかけ離れた行為であると思います。
人は誰かの役に立てると実感できるから自己肯定感が生まれるのです。その自己肯定感は、大人になってからでも、自分の得意を人に使えるものだと思います。
それは集団の中に於いて、お互いの関わりの中で自分を知っていき、自分の学びとなるのだと思います。その場が本来は「学校」という場であったものが、今はそこから道がそれているから、学校に行きたくない子どもが増えているのではないでしょうか。
じゃ、また明日!