人間関係で大切なのは、お互いが繋がっているかどうかだと思います。
例えば、親子関係でも、恋人関係でも、夫婦関係、或いは友達関係、仕事関係など、繋がっているようで、本当は繋がっていなかったりします。よって、繋がっていない場合に問題が起こったりします。
スマホが現れてからの人間関係は、特に希薄になってきたように思います。
例えば、以前ならカップルと言えば、公園でもカフェでもどこででも二人が楽しく話している光景が見えました。
しかし、最近は二人でいても、お互いがスマホ片手に、スマホを見ている状態です。それでは何のために二人でいるのかと思ってしまいます。もちろん、話の途中で仕事の連絡や何か用事の連絡が入れば見るかもしれませんが、最初から最後までカフェでそれぞれがスマホを見ているのはもったいないなと思います。
親子関係でも、子どもの手を引きながらスマホ片手です。よって、子どもが「ママー」と言ってママの方を向いても、ママは気が付きません。それを2~3回繰り返すと、子どもは諦めて嫌々引っ張られる形でついていくだけです。
昔人間の私だからそう思うだけであって、今の人達はそれが当たり前なのかもしれません。
時代と共に、人間関係の質が変わっただけなのかもしれません。
私が「つながる」と思うのは、目の前にいる相手と本音で向き合うことだと思います。よって「つながる」人数は非常に少ないです。SNSの友達申請の数や「いいね」の数とは違います。
相手のことが自分のことのように感じるくらい、信頼関係が成り立っているという状態です。自分をさらけ出し、ありのままの自分で接しても本音で向きあえる相手です。
もちろん意見の違いはあると思います。しかし、意見の違いは違いとして認め、自分の視野を広げてくれたと思うだけです。その根底には、相手と繋がろうとする愛情があるからだと思います。その愛情は相手を受け入れるということだと思います。
人は嘘をつく時もあります。それは調和を保とうとして、或いは、相手に心配をかけないようにと嘘をつく場合があります。そんな時、相手を責めたり、裁いたりしても、解決には至りません。むしろ関係が悪化するばかりです。
それよりも私が興味を持ったのは、その人がなぜ嘘をつく必要があったのか、そちらの理由の方です。
その理由がわかってくると、嘘をつかれても相手を受け入れることが出来るのです。
人生の中で本当に「つながる」人と出会えたならば、しあわせな人生だったということではないでしょうか。
じゃ、また明日!